ときどきトランス日記No.22 / 1月28日の日記と「ライブレポ@La Stanza(1/26)」
昨日は映画を観に行った。
「Earth」
これは是非とも映画館で観ようと思っていた。息子と一緒に観ようと思っていた。
なので家族揃って行きました。
かなり頑張っても実際に見ることは叶わないもの、ことたち。それが圧倒的に展開する。
なんと言うか、SFXとかCGのなんでも出来ます、どうだどうだっていう圧倒さはじきに馴れてしまうのだけれど、本物の奥行きの深さは死に直面してる、やり直しのきかない一回性、しかも果てしはなさそうで慣れることはきっとない、その前に怖いし。
圧倒的に怖い。悲しい。生きている、とかね。
結局は「美しい」のだと思う。それらの感情、いやすべての感情を排して見つめていると。
一見、地球上を支配しているように見える人類は、でも脆弱。壊すし。
地球にとっては人類の時代なんてホンの一睡の夢みたいなもので、惑星の見たちょっとした悪夢。それが醒めちゃったらもうぼくたちは何処にも居ない。
あぁ、怖い。
いやいや、地球は今ちょっと皮膚病くらいなもので、治っちゃったらぼくらはやっぱりもう居ない。菌みたいなものだから。人類が造った建造物なんてホンのかさぶた、そのうち巨大なちからに掻き壊されちゃうんだな。
、、かも知れない。

あ、映画のことだった。観て良かった。息子に観せてやれて良かった。
これはホントになんとも美しくて強くて儚い。こころがふるえる。
けれど美しいだの悲しいだの残酷だのっていうのは地球の感覚ではなく、人類の感覚。ぼくは人類なのでその感覚で生きているけれど、簡単に涙を零してはイケナイ時、こと、もあるんだなと思った。
自然は不変ではないけれど、人類にとっては圧倒的な存在でそのことだけは不変、と思い出す。
さあ、その涙を拭え、歩き出そう。なんて気持にもなれました。
でね、、
人類が人類ときちんと向き合わないとこれから先はない。その為にはまず地球と向き合いなさい、もうそれしかない、もうとっくにそういうところまで来ている、なんてことを促されてしまいました「Earth」に。
、、、賛成です。
これから先の答えはそこから見つけるしかないとぼくも思います。
見たこともない奇妙な生き物はそっち、ありえねぇ、、。と映画館の暗闇から動物達が囁く。

、、で。
一昨日は今年初のライブでした。
南林間にある「La Stanza」
石神うみちゃんの個展' UmiGallery '神奈川版のオープニング。
凄く聴いてくれている、最初からそういう空気に満ちていて、なので音速珈琲廊もその音楽を空っぽになるまで演奏したよ。
南林間は家から車で10分ちょいと近い。
なので近所のひとも来てくれて、しかも三線奏者なものだから飛び入りしてもらったり。
沖縄音階とバリ音階が絡まって、かなりの極楽気分、空気。音の南国湯、ぽかぽか。

ギタリストしょうくんの和音感覚が凄い。やはり、やればやるほど。
なんと言うか、えぇっ!てね、驚きがある。ミラクルである。
音楽の表情変えて、ソロでまた変えて、そしてまた、、変貌のマジックも鮮やかであるね。
和音で支配する、ぼくはそこで自由を獲得する。上手くは表現出来ないが、そんな感じ。
面白いんだよ、で、ギターソロになると突然支配の手が緩むわけで、ぼくはスリリングな音世界に放り出され、、
そういう音楽をたっぷりと演った。

1部は多分1時間くらい、2部はなんと80分近く演ってたらしい。
そしてみんなそれを凄く聴いてくれた。
ありがとう。
こういうライブは実に音速珈琲廊らしいけれど、それでも滅多にないと思う贅沢な時間の取り方した。

しかし写真見て思う。
あぁ、おれまたこのセーター着てる、、なんの変哲もないベージュの古ぼけたセーター。袖に煙草の焼け焦げの跡のある、でも着ているとなんとも安心感のあるセーター。だからライブの日に着てしまうのだろうか。
20年以上も前に、代官山のハリウッドランチマーケットで買った。
多分2〜3年着て10年くらい放ってあった。それをNYに行ったときに楽器の緩衝材としてなんとなく包んでいって、そのまま着ていた。
イーストヴィレッジに日本人の経営してる古着屋があって、どれでも1ドルのラックを見ていたら「何処に住んでるの?」って話しかけられた。
そういうセーター。

散歩に疲れて夜中の4時頃にタイムズスクエアのヴァージン.メガストアの前に座り込んでいたら、きちんとした身なりの男性が1ドルぼくに差し出した。心配そうな瞳の色はガラスみたいに青かった。
きっとこの古ぼけたセーターのせい。
その1ドル紙幣はいまでもお財布に入っている。


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