ときどきトランス日記No.24 / この頃の身辺雑記と「ライブ.レポ@Again(6/1)」

この冬の終わり頃、雪見酒があって、春先に花見酒をしたと思ったらすぐに祝い酒。
友人カップルに子供が産まれてね。
それでなんとなくぼやぼやしていたら5月も深まって、今度は友人の結婚式。
雨の隅田川を下って東京湾へ。屋形船には初めて乗りました。
音速珈琲廊の音楽に、ふいと素敵なウィスパー.ヴォイスが溶けてって、なにか新しい予感もたっぷり過ったりしたとても楽しい一夜。
こういうことでもなければ、もう滅多に会うこともなくなった昔のバンド仲間にも会えて、そういう気持噛み締めたりするお酒もあるんだね。

ぼくは歯が痛くなったりしながらも、久し振りのライブに気持が集中していって6月1日になりました。
武蔵小山「Again」はちょっと思いで深い、実は。
と言ってもそんなに昔のことではなくて、去年の10月のこと。
音速珈琲廊が正式に始まる少し前、ここのセッション.ナイトではじめてShowくんとのDuoでライブ演奏したお店。

『ムサコ.エスニックチャンプルーナイト@Again : 1 June 2008』

晴天の日曜日。武蔵小山商店街は流氷祭りという不思議なことをやっていて、入口にささやかな雪のスロープがあって、アーケードのあちこちに氷の塊、中にでっかい蟹とか昆布が閉じこまっていたりする。北海の海の幸、という表現と思うけれど、ちょっとぎょっとするオブジェクトで、どうしても通りすがりにつるりと撫でてしまう。みんなついついそうしているので、そのうち其所の部分が減っていって蟹が出てしまうんだろうか、、
あぁ、ホントに今日はお天気の良い日曜日で、そういう風に賑わっていてなにか晴れやかな気分。
ホントの家族からトモダチまで、けれどぼくのファミリーと呼べるひとたちもたくさん来てくれて、なんとみんな駅前の立ち呑み屋に集合しているという。
いっつも此処に来ると気になって気になって仕方なかったお店。オープン.エアのカウンターの大皿に焼き鳥が山盛り。お皿の向こう側ではどんどん焼いていて通りに匂いと煙もくもく。
う〜ん、早くサウンドチェック終わらせて駆けつけなくっちゃ、と気が焦る。
で、駆けつけると、早くもこの店のシステム、というか作法をマスターしたらしい家人に教えを乞うて、ぼくも路上呑みの民に混ぜて貰えて、とっても幸せになる。
我が息子はファミリーのちびちび連の長兄の風格をはやくも滲ませてて、へぇ、と感心した。いいじゃない。

今晩は6人のアーティストの夜になった。

1部はTurbo&MAYURI+Showのユニットで幕開け。
TurboはUbud村でのPasionというユニットでしばらく一緒に演っていたひとで、信頼のおけるミュージシャンのひとり。ま、ふる〜いトモダチってのもあるけど。
MAYURI嬢は件の、っていうかTurboの結婚式でのWisperVoiceの君。
沖縄民謡をメインにしたステージだったけれど、何と言うか、ふたりとも出す音も声も、ちゃんと地に足が着いている感じがする。そういう安心感を得られるのでユルさをゆっくり味わえるのね。
VJのeeteeはイイな、やっぱり。暖ったかい気持に持ってかれる、いつも。
だから、あぁ、今日はもうこれだけずうっと呑みながら聴いていたいなぁ、なんてゆらゆらしていたら、呼ばれてしまった。
SaxphoneのTommyさんはとっくに吹いていて、う〜ん、そういうえばブンガワン.ソロでいい音聴こえてた、、
今晩はダラブッカを叩く予定はなかったけれど、凄いアラビックな、砂漠な、そういうアレンジ施した「キャラバン」が始まって、あぁそうか、と思ってステージに上がった。
ダラブッカの手に貼り付く感触。それをまた引き剥がしながら叩く感触。
ホント太鼓ってそれぞれ違う。
例えばこれがジャンベだと、手ははじかれる。それに抵抗しながら打つので下手を打つと何と言うかリズムが停滞するというか、進まないと言うか。疲れている時に叩くとぼくはそうなってしまう。
で、ダラブッカだとリズムがどんどん進む。進み過ぎて走って、ヒヤリとする。
ジャワやバリの太鼓は両面太鼓なので、手の動きが横でこれまた少し違う。ま、結局は掌で行われている愛撫の感触楽しんでいると言うか。
まぁ、楽器とひととの関係のおおもとにあるもので、もう絶対にエロが混ざっちゃう。ふ、いいのだソレで。

2部はね、泣いちゃうかな?って思ったんだけど、やはりちびちびのひとりが泣いてしまった、蛙のトペン(お面)かぶってのSingingBowlでのオープニング、、ごめんねユリカ。
とまれ「WaterTemple」「狐の嫁入り」と進んでって、どんどん気持良くなっていった。
「紡ぎ唄」ではMAYURIちゃんTommyさんも加わって、非常に美しいメロディーの唄をつけて貰いました。そしてそれに寄り添う繊細なソプラノ.サックスフォーン、、ホントに素晴らしいセッションになりました。
ギターの和音はさらに進化して、冴えざえとしたソロも聴こえてた。ヤルなぁ。
あぁ、リハーサルどころか打ち合わせも何もなくてどうしてこんなにも、、

緊張感とリラックス。この相反するものが見事に同時に存在する。
最大限に緊張しながらリラックスする、、リラックスの極みに居ながら緊張感をキープしている。
つまりはね、このどちらかが欠けていたら「音速珈琲廊」の音楽にはならない、というところまで来ているのね。
Barubangun1
5人のミュージシャンと1人の映像アーティストの夜。次回の8月3日は何人でどんな組み合わせになるのかな、と凄い楽しみ。
ところで残念ながら当日の写真がなくって。
これ、この日ぼくが着ていたT-シャツ。Ubud村のお気に入りのT-シャツ.メーカー「BaruBangun」の。

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ときどきトランス日記No.23 / 2008年春先の身辺雑記。

身辺雑記の1。
丁度いい具合に散りはじめていたものだから、そんな風に見えたのかも知れない。
丘の斜面のあちこちに桜がもこもこと盛り上がっていてね、ゲーム機で遊ばない子供らがその隙間を飛んでゆく。
髪も服もスニーカーも、たっぷり春の埃すいこんで帰ってきた。

今年も花見が出来たことに感謝。

身辺雑記の2。
ところで、座骨神経を痛めてしまったのね。まぁ、ギックリ腰みたいなもの。
あるまじき姿勢で持ち上げようとしたものが予想外の重量だった。
しかし時はすでに遅く、もう立ち上がることが出来ない。物凄い痛い。
朝そんな状態に陥り、しかも家族はもう5日ほどしないとバリ島から帰ってこないというツラいタイミング。
迂闊に横になったりすると起きあがれない。けど病気じゃないのでお腹が減ったり珈琲が飲みたかったりもする、、なんとかしなくちゃ。
ところでうちのDKは割と広い。なので息子の勉強机と椅子も設置されている。
その椅子はキャスター付きの回転椅子。これで移動すればいいのか、台所だけだけれど。
死ぬ思いで椅子に上陸。
足で漕げないのであちこち掴まりながら進む。
ガス台が目の前。目の前でお湯が沸くのを待っている。おぉ、冷蔵庫の中身が見やすい、けど最下段の野菜室はキビしいぞ。
自分の身長はいま120センチくらい。

しかし僅かながらの自由を得ると、ひとの欲望ははかり知れず。かなりの努力をして隣の部屋のPCを立ち上げて音楽も手に入れた。
これはイケそうだなと思っていたら、春先のくしゃみの発作が襲う。この痛みはハンパじゃない、くしゃみ一発で座骨周辺に激痛が走る、刺さる、いや食い込む。それが4回も5回も連続する。
あぁ、くしゃみが怖い、トイレだって地獄だ。下衣の上げ下ろしにまた激痛。

くしゃみの恐怖に怯えながら、120センチの自分はご飯も作った、食器も洗ってみた。なにもかもが近すぎてやり難かった。
立ち上がればすぐに行えることに時間がかかる。
車椅子の生活をふと思うが、これが少しだけわかったとはでも言えない。
鍼灸院の帰りにつくづくと思ったこと、、立って歩くことが出来る。これは本当に有り難いことだ。
鍼と電気がコツコツ来るマッサージとホンモノのお灸。

身辺雑記の3。
DVDを借りてきた。「さくらん」をやっと観た。
観よう観ようと思っていて、でも子供向けではないと思ったのでなかなか観れずにいた。
で、後悔した、、映画館で観とけばよかった。
暗闇のなかで、独りぼっちで、あの色彩と構図に溺れていたかった。アルコールを持ち込んで、あの色のなかで段々に酔っていきたかった。
最後はもうぼうっとして、暗闇から明るい陽の中へ放り出されたかった。
「赤」にヤられる。中国映画でも「赤」にヤられることがあるけれど、それとはまた感じが違う。
赤の支配下にある他の色たちの発色の仕方、、これが黒が支配、とか白が支配とかだとまた違って来る訳で、そういうの彩りって言うのかな。
ときどきマチスとかクレーみたいな感覚がちらと覗いて楽しかったりもする。
楽しみにしていた椎名林檎の音楽は「平成風俗」よりもバックトラックがヘヴィーに作ってあって、これまたぼうっとしてしまった。
うん、唯一構図からはみ出していた土屋アンナは魅力的だったよ。これがスタイリッシュにハマっていたらツマらない絵になっていたろうね、でもちゃんと壊していた。偉い。
この女優は典型を演じながら、なにかそれを軽く越えちゃってるようなところがある。天性か、その壊し。

でもね、映画の耽溺と云うのはやはり、映画館のあの暗闇のなかでしか味わえないものなのかも知れない。

身辺雑記の4。
THAI KICK(タイ.キック)です。味の冒険。
ファイアパターンにキックボクサー。
ネーミングのセンスもラベルのデザインもかなりすき。あと蓋がゴムっぽい質感のプラスチックで黒ずんだ赤色なのが物凄く東南アジアっぽい。
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毎日何かに振りかけて楽しんでいるのですぐなくなっちゃう。でもカルディという輸入食材のチェーン店にあることがわかったのでひと安心。値段だって安い、198円。
タバスコのタイ版ってとこで、だからアノ辛さなんだよ、タイ辛い。
夕べの冒険は納豆に。いけた。
あぁ、これ柄のTーシャツがあったら欲しい、カオサンで売ってそう。

アンカサのこてっちゃんがお店に出してるアラックをお土産に持たせてくれた。
ぼくのバリ暮らしで特別に愛していたもののひとつ。本物の椰子酒。
牛肉を炙ってさ、タイキックをひと振りしてアラックと一緒にいただきましょう。あぁ、豚ネギマの塩でもいいな、、叶うならばトゥトゥという香辛料たっぷりのバリのスモークドチキンかダックが、、
食後はこれまたあちこちからいただいたバリ珈琲。これも欠かせなかったもの。皆様、ありがとう。

WarungSoviaで呑んだ帰りは町経由ではなく裏山経由が、大男が出たり人魂が出たりするのでスリリングですきだったけれど、息子が怖がるので大抵町経由だった。
お化けがいっぱいの夜の空気のなかでいつかまた酔いたいと、なんだかすっかりお化けの減ってしまった日本の空気の中で酔いながら、思ってる。

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ときどきトランス日記No.22 / 1月28日の日記と「ライブレポ@La Stanza(1/26)」

昨日は映画を観に行った。
「Earth」
これは是非とも映画館で観ようと思っていた。息子と一緒に観ようと思っていた。
なので家族揃って行きました。
かなり頑張っても実際に見ることは叶わないもの、ことたち。それが圧倒的に展開する。
なんと言うか、SFXとかCGのなんでも出来ます、どうだどうだっていう圧倒さはじきに馴れてしまうのだけれど、本物の奥行きの深さは死に直面してる、やり直しのきかない一回性、しかも果てしはなさそうで慣れることはきっとない、その前に怖いし。
圧倒的に怖い。悲しい。生きている、とかね。
結局は「美しい」のだと思う。それらの感情、いやすべての感情を排して見つめていると。

一見、地球上を支配しているように見える人類は、でも脆弱。壊すし。
地球にとっては人類の時代なんてホンの一睡の夢みたいなもので、惑星の見たちょっとした悪夢。それが醒めちゃったらもうぼくたちは何処にも居ない。
あぁ、怖い。

いやいや、地球は今ちょっと皮膚病くらいなもので、治っちゃったらぼくらはやっぱりもう居ない。菌みたいなものだから。人類が造った建造物なんてホンのかさぶた、そのうち巨大なちからに掻き壊されちゃうんだな。

、、かも知れない。
Earth
あ、映画のことだった。観て良かった。息子に観せてやれて良かった。
これはホントになんとも美しくて強くて儚い。こころがふるえる。
けれど美しいだの悲しいだの残酷だのっていうのは地球の感覚ではなく、人類の感覚。ぼくは人類なのでその感覚で生きているけれど、簡単に涙を零してはイケナイ時、こと、もあるんだなと思った。
自然は不変ではないけれど、人類にとっては圧倒的な存在でそのことだけは不変、と思い出す。
さあ、その涙を拭え、歩き出そう。なんて気持にもなれました。

でね、、

人類が人類ときちんと向き合わないとこれから先はない。その為にはまず地球と向き合いなさい、もうそれしかない、もうとっくにそういうところまで来ている、なんてことを促されてしまいました「Earth」に。
、、、賛成です。
これから先の答えはそこから見つけるしかないとぼくも思います。

見たこともない奇妙な生き物はそっち、ありえねぇ、、。と映画館の暗闇から動物達が囁く。
S1
、、で。
一昨日は今年初のライブでした。
南林間にある「La Stanza」
石神うみちゃんの個展' UmiGallery '神奈川版のオープニング。
凄く聴いてくれている、最初からそういう空気に満ちていて、なので音速珈琲廊もその音楽を空っぽになるまで演奏したよ。
南林間は家から車で10分ちょいと近い。
なので近所のひとも来てくれて、しかも三線奏者なものだから飛び入りしてもらったり。
沖縄音階とバリ音階が絡まって、かなりの極楽気分、空気。音の南国湯、ぽかぽか。
S4
ギタリストしょうくんの和音感覚が凄い。やはり、やればやるほど。
なんと言うか、えぇっ!てね、驚きがある。ミラクルである。
音楽の表情変えて、ソロでまた変えて、そしてまた、、変貌のマジックも鮮やかであるね。
和音で支配する、ぼくはそこで自由を獲得する。上手くは表現出来ないが、そんな感じ。
面白いんだよ、で、ギターソロになると突然支配の手が緩むわけで、ぼくはスリリングな音世界に放り出され、、
そういう音楽をたっぷりと演った。
S5s
1部は多分1時間くらい、2部はなんと80分近く演ってたらしい。
そしてみんなそれを凄く聴いてくれた。
ありがとう。
こういうライブは実に音速珈琲廊らしいけれど、それでも滅多にないと思う贅沢な時間の取り方した。
Sss1
しかし写真見て思う。
あぁ、おれまたこのセーター着てる、、なんの変哲もないベージュの古ぼけたセーター。袖に煙草の焼け焦げの跡のある、でも着ているとなんとも安心感のあるセーター。だからライブの日に着てしまうのだろうか。
20年以上も前に、代官山のハリウッドランチマーケットで買った。
多分2〜3年着て10年くらい放ってあった。それをNYに行ったときに楽器の緩衝材としてなんとなく包んでいって、そのまま着ていた。
イーストヴィレッジに日本人の経営してる古着屋があって、どれでも1ドルのラックを見ていたら「何処に住んでるの?」って話しかけられた。
そういうセーター。
S2
散歩に疲れて夜中の4時頃にタイムズスクエアのヴァージン.メガストアの前に座り込んでいたら、きちんとした身なりの男性が1ドルぼくに差し出した。心配そうな瞳の色はガラスみたいに青かった。
きっとこの古ぼけたセーターのせい。
その1ドル紙幣はいまでもお財布に入っている。

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ときどきトランス日記No.21 / 11月25日の日記と「ライブレポ@ZAIM(11/24)&@CABE(11/27)」

2007年11月24日はどんな日だったんだろう。
それは今日になったら昨日の日。
でも味わい深い昨日だったので今日はその名残りの日。
相変わらずパスタを茹でながら、ワインを買い忘れていることを思い出す。けれどキッチンの戸棚に半分以上残っているTom Mooreを発見。なのでバーボンとパスタの昼食とする。息子のためにハムを細かく刻んで醤油で炒めてソースに追加する。
まぁ毎日こんな昼ご飯、、だと嬉しいけれど、でも休日だけね。
いやいや、昨日のことだった、話は。
ぼくは横浜で演奏するという大事な用事もあったし、そのとき演奏する「紡ぎ唄」という曲を、遥か遠くにいる大事な友人のお腹のなかに届けなくてはならなかったんだ。
結婚式の時間とは大分ずれていたと思うけれど、ぼくが息子のためにカリンバで作った子守り唄、その蠢く新しい命に届けようと思って演奏した。
ま、現実的ではない話だからね、いつかきみの目の前で弾いてあげるよ。それはこんにちわ?オハヨー?こんばんわ?早く会いたいものだね、きみのUbud村はどんなお天気?

昨日の午後の横浜は、快晴。
なので家族で久し振りの横浜散歩。外人墓地は丁度開放日で初めて中に入った。
石と苔と湿った土の匂い、銀杏の臭み。
猫がたくさん住んでいて、陽のあたる墓石のうえ、あちこちで寛いでいるというデジカメが手許にないと悔しい風景。そのかわりにたっぷり眺めさせて貰ったけど。フリーメーソンの刻印に仔猫、それを冬の初めの柔らかい日射しがすっぽり包んでいる、なんていいんだろう。でももうすぐ厳しい冬が本格的にやってくる、みんな元気で越せよな。
普段はあまり動かないような旧い空気を嗅いだマジックで、ちょっとシンガポールにいるような気分がいつまでも尾を引いてね、う〜ん、お腹が空いてくるようなね。
だから中華街でちょっと早い晩ご飯を食べた。
Showくんと機材車が予定より早く到着したのでデザートは食べ損ねてしまったけれど、ビールと紹興酒も加わったシアワセなお腹具合で会場へ。
ZAIMは財務で旧財務省ビルがアートの牙城となっていて、、何と言うか一昔前の大学っぽい雰囲気。いろんな部屋が雑然と、それぞれ勝手にアートで蠢いてる気配に満ちている。部室、文化祭、自由、、ただそのどれもが名残り、なのだろうと思う。その好ましい空気や懐かしさにぼくは反応している。
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夕べのステージでカリンバを弾きながら、自分の姿がふと見えた。
あれは弾く時には両の掌で包み込むように持つ。合わせた掌がお椀のかたちになる。そのお椀から音が溢れ出てくる。溢れてこぼれてゆく、つぎからつぎへと。とまらない。
音の粒つぶが滴ってステージを流れていって、それがまたお客さんの足許にまでこぼれてゆく。
とても気持の良い自分。
Zaim001
会場やその時の色んな要素があったのだろうけれど、音速珈琲廊はなんだか暖かみのある音質でした。ループやディレイも多用したけっこうトバし系の音だったのにもかかわらずね。
その時の色んな要素。うん、それだ。

横浜のあの良い感じの辺り、電車で30分くらいで着いてしまう。案外近いんだなぁ、うち。
神奈川県民になって2年ちょっと経ちました。

さて、27日は目黒の「CABE」
これはチャベと発音します。インドネシア語で唐辛子。
お洒落過ぎない、良い感じのレストラン。
石神うみさんの個展のオープニングでした。

そこは目黒駅から徒歩10分位、目黒通り沿い。てことはあの名路線として有名な、東京駅発等々力操車場行き「東98」都バスの路線上ではないか、、と思って調べてみたらビンゴだった。
「元競馬場前」停留所からすぐのとこ。
なので遠回りだったけれどバスに乗りたかったので。すきなんだよ公共の乗り物、特にバスが。
終点まで乗ってまた引き返して、途中Cabeの近くで降りるっていう計画立てたんだけれど、でも時間の計算が甘かった。平日の夕方は道が混んでるんだった。
だから終点を待たずに引き返したけれど、暮れゆく東京の夕方の色んな顔愉しめた。

何が悪かったのかわからない。
と言うか、やはりこれもその時の色んな要素。
音楽が始まっているのに、一向にお喋りや嬌声の声は止まない。殆ど誰も聴いてはいない。
あぁ、今晩はちょっと辛い演奏になるな、、
そういう時ってある。いままでにも何度かあったよね。
ステージにした場所はガラス張りで下の通りに面している。仕方ないのでお客さんには背を向けて、夜の目黒通りを眺めながら演奏した。

津軽三味線奏者のヤマカゲくんがゲストで来てくれたので、2部は音緒の演奏もあって、ちょっと盛り上がった。そこにぼくも加わって、音緒速珈琲廊(発音しようがない)って感じで、初めて一緒にやる楽器だし面白くなってきた。
遊びに来てたTurboくんにパーカッションをやってもらったりして、これで一気に釘付け、、と思ったけれど、そうでもなかった。

別にいいケド、、なんて気分もあった。でもまぁいいね、これも。という気分に段々なれたんだ。
だからそんな感じで3部はえらく楽しかった。音緒速珈琲廊で行った。音が溢れ出て滴った。
津軽三味線独特の引っ掛けるようなリズムのリフ感と言うか、一種のあれはグルーヴ感だね、あのひりひりとした感じ、荒涼とした感じがいいなと思っていたんだけれど、そこにカリンバの甘いとろけ系音色が混じって、それをギターの和音がおおきく包み込みつつ、時々おやっと思うようないいリフで切り込んで来たりもする。
新しい音場が開いたなって思った。
いつの間にかみんな聴いていた。
Zaim5
*写真協力はFumiyasu@Kさん。ありがとうございました。このひとはPlanetBambooの名作DVD「@Cozmo'sCafe」作った人。

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ときどきトランス日記NO.20 / 11月10日(土)' 音速珈琲廊 'ライブ@茨城「ねこ屋」

今日のお昼はパスタに、、あぁ、またこれ。スミマセン。
麺類がすきなんだよ。麺の茹であがる匂いを嗅ぎたい。湯気を鼻先に停滞させたい、あぁ、お腹が空いた。これはもうしょうがない。
ところで、土曜の晩が' 音速珈琲廊 'のデビューだったんだよね。これは「おんそくこおひいろう」ではなくて、SonicCafeと発音してください。

『ようこそ音速珈琲廊へ。どうぞ御寛ろぎ下さい』
Nekoneko1
これはブルース、なのかも知れない。
でもブルースの定義は難しい。

ブルースはブルースなんだ。自分の中のブルースが音になって出てゆくのがわかる。
恐らくは、Showくんのバックボーンにあるブルースに自分が反応しているのだろうと思う。
ブルースってなんだろう?
うーん、それはね、他に代替がきかない音って言うかさぁ、個人の「ひと」の音。
まあ、とってもアメリカっぽい言葉。
じゃ、アジア的に言うと民謡、とかはやはり迂闊には言えない訳で。
けれどこの「民謡」と「ブルース」が尻尾に見隠れしてるような音。
P1011240
今回はShowくんの車に家族共々便乗させて貰ってきた。ちょいと楽しい小旅行の気分。
小雨模様の茨城は吐く息がほのかに白くって。
犬の「満月」の手厚い歓迎、しっとり濡れた獣の匂いが手に残る。
柿の木に柿の実。
1年振りのねこ屋。
なんとUbudから引き上げてきたばかりの友人も出迎えてくれた。
で、あれあれなんて思っていたら、ジムニーが入って来て、いやこれはもしや、、懐かしいトモダチが降りて来た!2時間半かけて栃木から来てくれた。
嬉しかったし、なにかこのねこ屋はこんなところにあるのに、ミーティングポイントっぽくなっている不思議さを感じた。磁力があるのだろう。

マリンバとパーカッションの女性Duo、厚くて繊細でテクニカルで礼儀正しい音、しかもかなりキュートなふたり。
赤毛のマディーズは懐かしい匂いの音で、ぼくは70年代の吉祥寺を思い出してた。
、、なんてプログラムは進行してゆくものだから、ぼくは少し余計に呑んでしまっていた。

前回は庭だったけれど、今回は店内の土間がステージ。これがかなり良い。

71分5秒。
Nekoneko2
お客さんがすごく近い。
畳と座布団とひとと楽器とアジア雑貨、、土間からいろんなものが見えて、ぼくらの音に溶けだして。
柿の木に柿の実。その下には犬の満月が吠えてる。それが時々聞こえるので庭もやっぱり音の身内。
なんだか和やかにお喋りしながら、まるで気のおけない友人達とこんな居酒屋で楽しく呑んでるような気もする時間でした。
シメにやった全員参加(お客さんだってひとり残らずね)のセッションはホントに「宴」のようだったよ。

えらくシアワセな一夜をありがとう。あの晩あの場にいたすべてのひと、もの、こと達へ。

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ときどきトランス日記NO.19/2007年10月27日の雨の土曜日とライブ告知。

さて、今日のお昼ご飯はパスタにしようと思う。
ぼくは風邪の引き始めで、だから麺の茹であがる匂いを嗅ぎたい。
雨の土曜日、息子とふたりきりの家。
赤ワインが一本用意してあると先週と同じことをしていることになるんだけれど、やはり用意してある。周到である。
カナダのFACTORというHipHopのレーベルのオムニバス聴いていて、雨の日の休日にいい、これ。
Nekoya1
昨日は武蔵小山のしょうくん家でリハーサルをして、帰りにふたりで上島珈琲店へコーヒーを飲みに行った。
このDuoはまだ名前がないね、昨日のよもやま話を湯気っぽいキッチンで思い出した。久し振りに叩いたダラブッカの、ヘッドに指先が貼りつく感触もまだ残ってた。
「音音’ズ」(ねおんず)と思いついたんだけれど、すでに彼は音緒(ねお)というユニットやってるし。
で、ふいと「音速珈琲廊」はどうかなと思った。読み方は勿論' SonicCafe 'と発音します。
何と云うか、彼とは珈琲を目の前にして話してるってことが多い。昔からそうだ。珍しいひとだ。
ところで、マレーシアの都市部には忘れ去られたような一角があって、廃虚まであと2〜3歩、みたいな回廊式の町並みが大抵ある。で、角に珈琲ショップがあったりする。
そういうイメージもふいと涌いた。

しかしこの駅前に来るたびに、アーケードになっている商店街が気になる、呼ばれる。けれど足を踏み入れたが最後、あっという間に1時間も2時間もたってしまいそうで我慢してきた。
なんだか長そうである。真直ぐなのにアーケードの向こう端が見えない。
聞いたらアーケードとしては日本一長い、などと商店街好きとしては聞き捨てならぬことを言う。しかも向こう端を少し左にゆくと戸越銀座の端に繋がるらしい。
えっ!と思った。頭がぐるぐるした。いま立っている場所との位置関係が全然掴めなくて人知れず足許がぐらぐらしてしまった。
だって戸越銀座は14年くらい前に何度か行った事があって、すきな商店街だった。美味しいものをつまみ食いしながら歩いた。あの辺に友人の歯科医があって。
そこで急に思い出した。向こう側から歩いて来たことが確かにあった、この駅まで。そうか武蔵小山だったのか、、
ああぁ、この一連の感覚はやはりいいね。
つまりぐるぐるぐらぐらのあとに、何かの記憶に突然繋がる感覚ね。
ただしこういう場合、記憶の贋造やら継ぎ足しやら時間の前後やらが混入しがちなので、そのことは黙っていた。自分に自信がない。なのでやはりここは独りでこっそりその感覚を味わおうと思った。お陰で帰りの電車が楽しかった。
匂いや音や味、というか風味か?口のなかの残り香とか、肌に触れる大気でさえ、、まぁそういうものたちに誘発される、若しくは伴うとか甦る、のような感覚で、これはまだまだ解明されていない分野だね。時々なんとかそれを言葉に変換しようとするのだけれど出来ないでいる。
しかしこれが科学的に解明されて、自在にコントロール出来るようになったら、アートの役割の大きな部分が死滅するね。

と、まぁ、、。

散歩はやはり自分にとっては必要不可欠なものだ。
最近はi-Pod Shuffleを持っているので身軽。孤独な散歩者には大変に有り難い機材だ。
電池やら音源の入れ替えなどの気苦労が一気に解消。なんとなくそれらを公衆の面前でもって交換するのはスマートじゃない。ま、やってたけど。けどそんなもの誰も見ちゃいない、でもなくてぼくは結構見ていた。で、あぁ、電池なくなったのね、とか中身入れ替えるのね、なんて思ってた。別にどうという意味もなくだけれど。
あ、タイトル見えないかな、なんて思う時もあった。正直に言うと。
そういうことを思うだけに、いざ自分がそうしようとする時に気苦労があるわけ。
電池のあの硬いビニールのパッケージは開けるときカシャカシャと意外に大きな音するし、次に何聴こうかとバッグのなかでごそごそ迷ったり、、あぁ、やはりあれは気苦労であったなぁ。

イやハやどうでもイイデスカ?

はい。

ではライブ告知します。
*11/24(土)横浜「ZAIM」
横浜にある、もと財務省のふるーいビルディングの一室で行われるイベントらしいです。面白そう。詳細は後日。
*11/27(火)目黒「Cabe」
ここはインドネシア料理のレストラン。Cabe(チャベ)とは彼の地の言葉で唐辛子のこと。ここで開かれる個展のオープニングです。詳細は後日。

本日は*11/10(土)の茨城「ねこ屋」のフライヤーのみupします。図上をクリックしてね。
Nekoya2
すべて出演形態はmichiro-U.+ShowのDuo「音速珈琲廊/SonicCafe(いや、まだ決まっていないけれど、、)」です。

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ときどきトランス日記NO.18 / セッションからはじまるものたち。俺らの言語は結局、音。

ああぁ。ナニ懐かしがってるんだよ、俺。
けどさ、' マギー.メイ 'なんて演られちゃったら、想い出すじゃねえか。ティーン.エイジの頃をさ。国立にそんな名前のロック喫茶もあったっけな、、好きな女の娘と行った、高校生の頃さ。

やたらに上手いバンドがついてたからさ、俺の出る幕じゃあねぇ。カウンターに行って、焼酎のロックをオーダーしたよ。
けどこれ裏と表、逆になってね?リズム。あぁ、いいのかそれで。いや、よくわかんないけど、、ま、酔ってるからさ。
一晩中ビールと焼酎でこのVocal聴いていたかったけど、でももうすぐここのギタリストと俺のセッション.ステージらしい。

ところで今日の昼ご飯はパスタにしようと思ったので、近所にワインを買いに行く。
息子とふたりの土曜日。
今日はふたりとも特別には出掛けたくない空気。じゃあ午後はレッドレッドなワイン一本ゆっくり空けてから、また考えよう。

、、夕べ、良い音が出ていた。ぼくらもね。
件のギタリスト、Showくんとは昔Baliで知り合って、手応えのあるセッションしてきたのね。このDuo来月は茨城の「ねこ屋」でデビュー.ステージ踏むのだ。
もともとはこの話があって、久し振りにやる気になってて、そしたら'Zaim'やら'Cabe'やらいろいろ先の予定がくっついてきた。
「流れ」から我が身を抜いて2年ちょっと。流れのなかにいたら見れないものをたくさん見て来た。
この2年、見たいものを自分で選択して、それによって生き方を決めて来たように思う。けれどまあ、世の中そんなに甘くはなくて、それ以上のものを見せられたが。

今年の夏は暑かったね。
なんてことをイマドキ言ってもなぁ、とは思うんだけれどね。暑いだけの夏だったわけでもなくて、そんなに悪くもない夏だったのか、、
去年の夏はPlanetBambooのツアーがあって、その後の長く辛い求職期間もあってさ。その頃に演奏した津久井のやまゆり園の夏祭りから今年もオファーが来て嬉しかった。
「今年もまたあの涼し気な音を、、」で、カリンバ、サンプラー、デジタルディレイ。さらに四つ打ちのベース.ドラムのイメージがぴぴっと来た。
ぼくの前に大所帯のアフリカン.パーカッションのグループが演奏するので、ちょいとクールダウンがいいかなと思った。
下りの中央線終点の高尾から更に奥へ。両側に緑が迫る。夏。

しかし夕べの話に戻るけれど、たまたま呑みに行ったらライブやってて御機嫌、みたいなのがいいね。いや、夕べのは少し違うけれど。
VoxRayっていうかっちょいいアカペラ.グループも遊びに来てて、酒が旨くなる歌聴かせてくれて。
あ、ぼくとShowくんとのセッションに飛び入りしてくれた、名前を聞きそびれてしまったドラムの男の子、それにテルミン奏者の西川さん、ありがとうございました。面白かった〜、あの場面。

流れ。
そいつをぐいっと力まかせに変えたら、やはり弊害が出るね。音楽も言葉も遠のいた。
でもまた集まって来ているのかも知れない。

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ときどきトランス日記NO.17/ダウンロードはじまりました。

さて。
いまどきナンと申せばよいのでしょうか、、でもまぁおつきあいくださいな。

ときどき書く日記とは云え、最後に記したのは去年の9月の26日。
思えばいまの仕事に就いたのがその月の4日。険しい山と深い谷の日々は過去形ではなくて、進行中。まるで人生のように、そのもののように。
そういうことが段々とわかって来ている。
とは云えまだたったの10ヶ月余り。まるでひよっ子の自分はこの仕事についてナニを言うことも出来ませぬ。
何かを語れるとしても、それはもっともっと後のお話ですね。

うん、ならば音のことは?

けれど最後に書いた日記が最後のライブのこと、、つまりあれ以来ライブはやっていない。いやしかし、やめたわけではけっしてなくて、ただうまく自分のこととの都合がつかなかっただけ。
このところ友人宅のスタジオでちょこちょこ音を録ったりセッションしたりと、また少しづつはじめたよ。
あぁ、音は自分と共にあった、いつでも。そしてぼくは自分の音をちゃんと持っていた。
と、そういうことが段々にわかって来ている、このところ。
帰って来たのは良いけれど、着地出来なくてずうっと困惑していたからね。生活に着地すると云うか。この「着地」についてはいままでも何度も考察したりして来たけれども、今またもう一度ちゃんと見て考えて、書き留めておきたくなってきてる。そういうタイミングが来つつあるから、きっともうすぐ。
ようやく足許に地面を感じられるようになって。

ところでぼくのソロ音源「音速竹(SonicBamboo)」から数曲が、WebShopでダウンロード出来るようになりました。
ここは' EOL WAYS(イオルウェイズ) 'というエコ.ライフを推進しているダウンロードショップ、気持の良さげなモノたちたくさん扱っています。
音楽家の友人たちも参加していて、RENIALAや素晴らしい音色のバンブーフルート奏者のイリテナさん、お薦めです。

http://www.eolways.jp/
イオルのトップページへ行って→「MUSIC」へどうぞ。
またはトップのRecommndの写真の横のぼくの名前をクリックでも。

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ときどきトランス日記No.16/アムリタ食堂、新月ライブ「Sonic Bamboo」

新月はインドネシア語でティルム、、これをステージでティルタ(聖水)と言い間違えてしまった。
けれどステージには満月。VJのeeteeは素晴らしかったらしい、、ぼくは殆ど観れずに残念。
ライヴカメラも同期してる訳で、あんまりスクリーンの方ちらちら観てると自分と目があってしまいそうでなにか恥ずかしいし。
2006年9月22日(金)吉祥寺/アムリタ食堂でのライブ。
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バレ(東屋)みたいなステージにシンプルだけれど使い易いサウンド.セット。
スタッフの醸す気持ち好い空気、とか料理の匂い、とか音。この音はね、もともとお店に住みついている音なんだね、だから全然気にならない(もっとも、演奏中は炒めものをしない、なんていう嬉しいお店の気づかいもあって)
ともかくも「場」
これが凄く良かった。
音を紡ぐための必要最小限の緊張感、これはどのくらい、とは言えないんだけれど自分なりのテンションがあって、これを得られるとステージ上では最高にリラックスした状態になれる。
で、この状態と「場」がぴったりと嵌まった晩でした。

音が伝わる、、このことについてぼくはこのところ悩みがあった。
けれどこの晩はそんなことも忘れた。
紡いだ音が確実に伝わっている。
演奏中にそのことを実感出来ると、更に良い音になってゆき、それがまた伝わって、自分に還ってくる、そしてまた、、という、最後には無限のループみたいな状態になってゆき、でも曲が終わると、それがぷつんと途切れて、何と言うか透明で空っぽになっている自分がいる。
だからかな、喋るのが下手、と云うか我に返るのにちょっと間が空いてしまうのだよ。ふと、何かもたもたと喋っている自分に気づいて焦る。
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福島から直接お店に入り、ってことになってしまったBunは大層疲れているだろうに、けれどいつにも増してメロゥな演奏で流石だな、と思う。
強いんだね、なにかひとを不安にさせないような、うまく言えないけどそういうもの持ってて、それが音になって紡がれてゆく。
小節のアタマに来る特別なアクセントがどの曲も、互いに綺麗に合っている。Duoの要石と云うか、ただでさえ入り込み易い曲調が多いので、こういう場所で時々戻るわけ。

ステージでは初めて演奏する曲をソロパートのところでやってみた。
ぼくなりのPeaceFrag(これはBunの主催するPeaceFragのHPを見てね「PeaceWalk」の音源も聴けるから/http://peace-flag.seesaa.net/)だなと思って、そう紹介した。
Peace...このことについて口するのは容易いことと思う。けれどこのことについて言葉を紡ぎ続けてゆくのは容易いことではけっしてない。
だからそれぞれの想いをPeaceFragという絵にしよう、っていうのは実にBunらしい。
ぼくはイメージする、、Peaceを。
浮かんできた絵はあったけれど、それをうまく「絵」として表現するのは難しそうだった。
ぼくならこんな音、、その方が早かった。
家族や親しいひとたちと過ごす場所。そこはまるで公園のような場所だった、こころのなかの永遠の場所のようでもあった。こころのなかの公園。
だからタイトルは「公園にいこう」、、ちょいとフレット上で指がつまずいたりもしたけれど、楽しく弾けるギター曲の小品。
あ、タイトルで言うと、ステージあたまにティンクリックで弾いたのは「蛙ワールド」と云います。
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ところで此処は吉祥寺。
地図ではぴんと来なかったけれど、行ってみたらそうか、、ナカミチ商店街だった。中道と書いたかな。
その様変わりには吃驚した、、お洒落なお店、流行りのエスニックっぽいお店がひしめいている、凄く賑やかだ。きっと深夜や早朝に昔の貌を覗かせてくれるだけなんだろうな。
この商店街が途切れて、もう少し先を折れると仲間の住むアパートがあった、いや、まだあって住んでいるはず。
どころか国分寺で生まれ育ったぼくは、高校だって三鷹や吉祥寺からバスで一本。
つまり、かなり若い頃からまぁまぁ若い頃までいちばん馴れ親しんだ街、遊んだ街。フォーク調に言っちゃうとぼくの涙だって染み付いている街、なんて。
ふふ、中央線三寺なんて知ってる?エンジ(高円寺)ジョージ(吉祥寺)ブンジ(国分寺)、発音はそれぞれどこにもアクセント置きません。
吉祥寺に来ただけで色んなこと思いだしてる、ぼくはもうそんな年齢になってしまっている。
そういう気分さえも音に出るのだろうな、と思った。

アムリタ食堂はタイ料理のレストラン。
うちもそうだけれど、バンコック好きな友人も周りに多くてね、顔あわせるとバリにいながらも「あぁ〜、そろそろバンコック行きたいよねぇ、、」なんて話したりしてた。
そしてアムリタ食堂はバリにあるタイ料理のレストランみたいだった。
けれど、そこよりも、ぼくの知っているどこよりも美味しかった。あの味だった。バンコックでいつも泊まっていた辺り、バイヨーク.スイート.ホテルの辺りには夕方から色んな地方の料理の屋台が出てる。あの味。
だいすきなガイ.ヤーンやチキン.ライスをホテルの部屋に持ち込んで。免税店で仕入れたウイスキー、そしてバンコックの夜は更けてって。明日はインドネシア.コンソールに行ってヴィザを受理して、チャトチャックに行こうよ、なんていう幸せな夜思いだしてた。
息子の食べかけだった、ひとくち分のジャスミンライスでこんな気分になれたんだ。匂いも時々不思議だけれど、味もそうだね。

この晩、この場で、音楽とともにあったひとたちへ、、最大限の感謝、です。
ありがとうございました。

**そしてこのところSonicBambooとPlanetBambooのオーガナイズやらマネージャーに限りなく近いことをしていただいている、がむらん.すぅさんがmixiに素敵なライブレポを載せてくれたので、以下転載いたします。
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『この日のLIVEは吉祥寺のタイレストランアムリタ食堂さんが企画してくださった。なので、あたしのやることと言えば超簡単サウンドチェックとセッティングをほんの少し。あとはひたすら超美味しいタイ料理を食欲魔人と化して味わうだけ(爆)。だから、心のままに感じたり、写真を撮ることができた。
4月に川崎でSBをやって以来、約半年ぶりのLIVE。二人とも超多忙の日々を過ごして来た。michiro-U氏は、やっと日本での生活に慣れてきたものの、まだまだ雑事に追われていて、その中で何とかスケジュールをやり繰りしてのSBで、しかも自身が若かりし頃(コオコオセエの頃)闊歩した吉祥寺の街でのLIVE。感慨一入だったようだ。
LIVEは2部構成。それぞれのソロパートを多めに取り入れた、SBでソロ?みたいな構成であった。

開場後、アムリタの料理を楽しんでいたお客さんたちが、気を改めることもないくらいに、そっとmichiro-Uさんが東屋風のステージに近づいていく。その東屋は観葉植物とその足元に石像、御簾の向こうにはロータスを模ったライトが灯されていて、UBUDのコテージの庭のイメージ。
そのステージにちょこんと座ると、何も言わずにコロコロとティンクリックを弾きだした。その瞬間から9月のSBのステージが始まった。ティンクリックのご紹介、ってカンジで軽く弾き終えると、michiro-Uさんは蚊の鳴くような小さな声で「BUN・・・」と言うと、客席を縫うようにBUNさんがやってきた。michiro-Uさんのマンドリーナが響きだし、BUNさんはインディアンフルートで旋律を乗せていく。アラビックな雰囲気でセクシーなベリーダンスの衣装を身に纏った踊り子が出てきてもおかしくないような曲は人気の曲。けっこうノリの良い曲だけど、BUNさんの横、最前に陣取ったカップルの男の子は早くもノリノリで、座ったまんま踊っている。会場もどんどん引き寄せられて行っている。その吸引力がピークになる寸前!michiro-Uさんのマンドリーナは聴き覚えのあるメロディーを奏でたのでありました。ギターを弾こう!と思った人が一度は必ず弾くメロディー。「じゃっ、じゃっ、ジャーン、じゃっ、じゃっ、ジャジャーン!じゃっ、じゃっ、ジャッ!じゃっ、じゃーん」でおなじみ、Smoke on the waterを弾きだしました。あっはっは、こういうオトナの外連味ある遊びが出来るのがいーんです。
無口でクールなmichiro-Uさんが音の世界では、お笑いにもなんです。会場はざわつき、あきらかに笑ってる人もいて、会場全体がなごんだのでありました。

BUNさんのソロから流れるようにティンクリックが入りこみ、Water Templeへ。そして、満月の曲(プルナマ アンサンブル)へと流れたのでありました。ここでね、特筆すべきことがVJ.eeteeのこと。ともするとグルグルだったり攻撃的だったり意味を求めすぎたりするVJが多い中、eeteeのVJは、音楽との調和をしっかり考えたVJで、その音楽が表現している世界観をVJで広げていく。eeteeは会場の二つの大きなスクリーンに新月の晩なのに、大きな満月が浮かべたのでありました。月の表面の光の筋を躍らせてたり、満月とSBの二人が重なったり、まるでSBが月の世界専用のBGMを作ったみたいに見えた。ウサギは月でお餅をついたけど、SBの二人は月で音楽を作ってるのね(笑)。なーんて、メルヘンなフレーズが浮かんだのでありました。

月の世界からピースフラッグの話になりました。Michiro-Uさんは絵を描くのがちょっと苦手らしく、自分なりのピースフラッグを考えたとき、音で作れば良い?と思ったそうです。michiro-Uさんにとっての平和の象徴は公園なんだそうです。みんなで行く公園、家族で行く公園、楽しいと笑顔が溢れている。だから、michiro-Uさんのピースフラッグのタイトルは「公園に行こう」。優しいギタレレで、子供たちの笑顔や木漏れ日を感じさせてくれて、休日の穏やかな公園の芝生を髣髴しました。
そうこうしているうちに一部終了。演奏中、音が出る炒め物のオーダーはストップしていたのですが、終了と共にジュアー!と炒める美味しそうな音が響き、それをBGMに楽器紹介。料理の音と雑談する声、そこに混ざっての楽器紹介はまるでBALIの市場みたいでした。
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2部はBUNさんのカリンバのソロから。先ほどの最前くんはまたもノリノリ。身体全体を感覚器にして音を感じられるんですね(^^)。「オウロラ」というその曲は、不思議な酩酊感を持っていて、目を瞑ってふわふわとゆれるように聴いていた人もたくさんいました。どこか他の世界に行ってしまったようです。
だから、こちらに戻してあげないといけません。次は2曲続けてティンクリックをフューチャーしたPBでもおなじみの曲で地球に戻ってきました。
BUNさんは静かにBALIのテロのことを語り始めます。それをきっかけにしたmichiro-Uさんとの出会い。自らが歩いた平和への歩み。そのテーマ曲ともいえるのが「Peace Walk」です。リリカルで美しいメロディー、叙情的なmichiro-Uさんのギター。この曲が大好き、と言う人が多いのも納得です。そしてまたここでもVJ.eetee技が炸裂しました。曲の出だしは人々の祈る姿がBUNさんやmichiro-Uさんの演奏している姿にかぶります。祈る手、祈る姿、この曲をバックに見ると、そこに映し出されている人々はみんな平和を祈っているように見えてきます。曲が盛り上がってきたころにBUNちゃんがマイクに一言「LOVE&PEACE」、その瞬間拍手が起きた。そして、祈る姿は子供たちの画像に変わっていく。世界中の子供たちが笑っている姿、いろんな国の子供たちのいろんな笑顔。LIVE終了後に聞いたら、涙が出そうになった!と言う人がたくさんいました。
ラストの「2台のカリンバのためのダンス」は、来てくれたお客さんへ、アムリタ食堂のスタッフさんたちに、そこにいた見えないものも含めた、その場にいたすべてに感謝をこめた演奏となりました。
でもって、最後の最後、皆様からいただいた大きな拍手が、SBの二人にとって大きな活動原動力となりました。来てくれた方、ありがとうございました。いらっしゃれなかった方、次回はぜひお越しください。ちなみに、アムリタ食堂はホントにおいしいので、吉祥寺でおなかがすいたら是非行かれるといいですよ(^^)。
ちなみに、この日、あたしの胃袋に入った料理。
・ 空芯菜炒め ・鯵の唐揚、生姜のあんかけのせ ・ジャスミンライス ・アップルパイつぶつぶココナッツクリーム付き 
ホントによく食べました(爆)。』

*そしてまた写真協力も!@がむらん.すぅ、、terimakasih banyuk!

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「ときどきトランス日記No.15 / PlanetBamboo のツアー.ファイナルから今日まであったこと」

アコースティック楽器の音を大勢の人に伝えるのって本当に難しい。
アコースティック楽器の音はマイクで拾ってアンプで増幅しなければ大勢の人まで届かない。
けれど、、
そうせずにそのままの音が一番良い音。一番すきな音なんだ。
スピーカーからではなくて、楽器からの直接の空気の振動を聴く。

アコースティック楽器を試しているときに、わざわざマイクで拾ってスピーカーからの音聴く人はいないと思う。
手にとって、鳴らして、好きになって、、そして欲しくなる。いつでもその時の音と一緒にいたいと思う。
人前で演奏するひとは、ライブでもその音を聴いて貰いたい、きっと。

ぼくがそういうテクニックや知識に未熟なせいもある、貧弱な自分の機材のせいもきっとある。
今回のツアーはそういうことで本当に苦労してしまった。ステージ毎につきまとう悩みに磨り減ることも多かった日々だった。
けれど、そういう解決方法ではないものがきっとあるんだな、と気付かされる日々でもあった。
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つまりはライブをやる限りは、たいていの場合、マイクで拾ってアンプで増幅〜はまぬがれぬこと。そこで問われるのは演奏者の音に対する姿勢、というようなことなんだと思う。
抽象的だし、とても上手くは言えないんだけれど。自分なりに解決してゆかないといけないこと。

ともあれPlanetBamboo +Bunの夏のツアー「NatureTranceDays」は7月29日に東京、荻窪でファイナルを迎えました。
その日から今日まで、色んなことがあった。
だからそれをここに記していこうと思います。

*2006年7月29日(土)荻窪「MuseumTokyo」

ツアーの集大成、、なんてつまらない言い方。
初日の福岡「イビサルテ」と較べたら格段の音の熟れかた、、そのぶん温度は低いけれど落ち着いてリラックスした演奏、、各々がツアー中の駄目だったポイントポイントに気を配って丁寧な印象の、、
あぁ、どれもつまらない、つまらない。
そうではないんだ、そういうことを言いたいのではなくて、、

あ、ちょっと苦労しているな、でもこれを書き上げなくては先には進めない。

なにかおおきな課題を背負ってしまった。
ぼくは色々な楽器を使う、それで一体なにを伝えているんだろう?なにを伝えようとして苦労して音を出してるんだろう?
いや、その前に、、
ひとつひとつの楽器の音を、聴いてくれているひとに確実に伝えたい。

*2006年8月2日〜4日 静岡県本川根町青部

こどもたちの顔が迫ってくる、そしてぼくを囲んでくる。
カリンバや口琴は音の小さい楽器だから、できるだけ近くで聴こうとして押し合いへし合いしてる。触れあうほど近くにかれらのあたまがある。
息子も含めたこどもだけでも60人くらいのサマーキャンプに父兄として参加した。
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宿舎は廃校なった古い古い小学校。目の前の駅はSLの通う路線、迫る山の景色。裏は大井川のひろびろした河原。
ハーメルンの笛吹き男よろしく、長い散歩やら、川遊び、目の眩むような高さの吊り橋を渡る時でさえカリンバや口琴を鳴らしながら歩いた。
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音が好きな子たちは奪い合うように楽器に触りたがる、壊れやすいものが多いのでひやひやしながらも、そういうこどもたちとじぶんとの関係性から何かに気付きそうな感じがあった。
なんと言うか、自分に欠けていたものがそこにあるというような。
でもそれは抱え込んだ悩みの答ではない、と思う。けれど、いまのじぶんの悩みと寄り添っていかねばならぬもの。
そうすればいつか答が育つのかも知れない。

答を育てるだって?

7月29日 荻窪「MuseumTokyo」/ マンドリーナの1、2弦のゲージの選択を誤った、、と気付いたのは本番中のステージの上。冷や汗が流れる。僅か0.2mmの違いがこれほどひびくとは、、
フレット上で弦にかかるテンションでも音程が変わってしまう。
マンドリーナもギターもオリジナルのチューニングにしつらえてある、PBやBunの楽器に合うようにと、ごく自然に出来上がったチューニング。
けれど、通常のテンションよりもだいぶ高いので楽器や弦にかかる無理も大きい。
だからそれに耐えうる弦を探さねばならないのに、いまだにぴったりのものが見つからない。ひどいときは新品の弦に替えてる最中に切れてしまったりもする。
音を確実に伝える、、それ以前のところでぼくはまだうろうろしている。

*2006年8月5日(土)津久井「やまゆり園」

知的障害のひとたちのための施設。
津久井湖の湖畔。
ぼくの古くからの友人の勤めているところで、今晩はここの夏祭り。
おおきな施設で庭もすごく広い。
その庭の、盆踊りの櫓のうえで20分ばかりのソロ演奏。
そしてやはり件の悩みに取込まれてしまう、、
昨日まで、青部ではあんなにも音が伝わっていたのに、、と思う。
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リハーサルでは綺麗に音が出ていたのに、本番では何が起こるかわからない、それがライブ。
出音の一部は割れてしまっているし、リハでは気付かなかった、建物やら周りを囲んでいる山の反響音が0.5秒くらい遅れて返ってくる。
モニタがなかったのでその反響音が辛かった、うまく演奏できたのかどうかは自分では判断がつかなかった。

ところでここは子供も若者の入所者もいない、お年寄りの障害者ばかりの施設、、
先のサマーキャンプにもそういう子はいた、あの子たちのこれからの長い人生を思った。ぼくがたったの三日間しか触れあわなかったこども。
こどもはね、たとえどんな子であれ、明るい明るい存在なのだと、そう思った。
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模擬店の焼そばと缶ビールで最後の盛大な打ち上げ花火を独りぼっちで見上げた。
夏休みはこれでお終い、そういう寂しい気持ちを久し振りに噛みしめた。いつの間にか隣にいた浴衣姿の友人がありがたかった。

8月2日〜4日 静岡県本川根町青部 / カリンバの音は「綺麗な音」みんなが口々に言う。ぼくもそう思うから嬉しい。口琴の音は「面白い音」「ぶくぶく沼のお化けの声」「飛行機の音」「ばねの音」こんなのも嬉しい。
蛙の声や風の音の小物楽器たち、竹の口琴、貸してあげた子供たちはわざと乱暴にあつかったわけではなくて、でも夢中になって鳴らしているうちに、いくつかは毀れてしまった。カリンバの弦もあちこちにずれてしまっている。
大変。
それでもね、あの子たちとぼくの間から学んだことだっておおきいからね、おあいこだ。
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ぼくは伝えたい音を彼らに伝えた。ねぇ、音楽っていいよね、と。そしたら彼らも、うん、音楽(音)っていいよね、と返してくれた。実際の会話ではないけれど、そうだった。そのときぼくらの間に流れたものはそういうものだった。
とても近い距離で、あたまとあたまが触れあうくらい近くで。

7月29日 荻窪「MuseumTokyo」/ この会場は豊かだ、色んなものが。高い天井や壁の質感、木の床、ライブラリー、すべてがゆったりとしつらえてあって、それらが独特の空気感を醸し出してる。
sakoは今回、いちばんのびのびと踊れたんじゃないかな。

今回のツアー、どの会場だってぼくらの音楽からたくさんのものがオーディエンスに伝わったんだと思う。ただ、そのことにすぐに感応する感覚がぼくには欠けていたんだ、演奏しながらその場所でそれに感応するということが自分には欠けているのだ。そう思った。
しっかりと「伝える」「伝わった」という感覚を持ちながら、いや、感じながらだね、音を紡いでゆこう。そうしなければ。

ぼくは青部で出したのとおんなじ音を出してゆきたい。どんなカタチの演奏であれ、マイクとアンプであろうとも。
それがぼくの伝えたいことになってゆくのだと思う。
自分はいったい音で何を伝えたいのか?、、それを言葉に置き換えることはまだまだ出来そうにない。
どんな言葉、言い回しもぴったりこない。建て前や無意識の嘘が混じるかも知れない。
それはこれから先、ずうっと出来ないのかも知れない。
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おとながこどもとおんなじ感覚で音に触れることはもう出来ないと思う。
でもね、あんなに嬉しそうに音に触れられた頃が誰にでもあったのだろうと思う。
そう出来たひともいるし、そのチャンスに恵まれなかったひともいる。でも「その頃」はきっと誰にもあった。
おとなはね、それを思い出すことしか出来ない。

8月2日〜4日 静岡県本川根町青部 / 最後の夜はキャンプファイア−。火を半円に囲んでリズムワークショップをやった。
60人を五つのグループに分けて、手拍子と動物の名前を声に出してを五種類のリズムにして、段々それを重ねてゆく。ポリ.リズム。
これはじぶんのやっているパートと、他のグループのやっていることとの関係性に気付くとすごく面白い。そしてできるだけおおきな声をだす。
最初はどうなることかと思ったけれど、ぼくも夢中でやらせていたからね、気付いたらみんなのリズムがおおきなうねりになっていた。
これってやっぱり感動してしまう。
「つむぎ(息子)のお父さんってすごい」こどもたちが言ってくれる。こんなに嬉しい言葉はない。

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そうしてぼくは自分の音楽やその姿勢におおきく欠けていたものを見つけた。

8月8日、、いまのところ、次の予定は何も入っていない。
自分が音で伝えようとしているものが少しだけ見えた気がした夏でした。
これからきっともっと暑くなる。
だからそれが夏の水蒸気になって消えてしまわぬように、しっかり掴まえていようと思う。

*今回の写真はすべて青部のものです。デジカメが壊れてしまってから新しいのを買っていないので、お借りしたカメラで久し振りに撮ったものです。

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「 ときどきトランス日記No.14 / PlanetBamboo + Bun :茨城、静岡ツアー日記 」

今朝、夏が完全に浜松まで来ていました。
夕べは夏の夜のライブ。
明けた今朝は360度の蝉の声。
午前中に東名に乗って、でも午後の神奈川にはまだ来ていなくて、東名大和という路線バスの停留所で落して貰って、まだ梅雨の名残りの空気のなか、歩いて帰宅しました。
お気に入りの、森や瀬のあるおおきな公園のなか通って40分くらい。

電車で、飛行機で、車で。
移動、ということ随分楽しんだ日々でした。
それも明後日でお終い、、ではなくて、PBとは別にもう少しだけ、あとホンの少しだけ続くんだけど。

ではPlanetBamboo関東ツアーの日記、書き始めます。いつもはもう少し時間がたってからでないと書けないんだけれど、今回は早いな。

*2006年7月22日(土)自宅から茨城へ。

いつもながらの楽器の山。そして今朝は自分の着替えやら本やらでぱんぱんになったリュックを背負った息子も一緒。
夏休み2日目の小学校2年生。しょっぱなのイベントがこれ。
楽器の山を抱えて時々いなくなるとうちゃんが一体ナニやってるのか、っていうのを見せたくて。

横浜で京浜東北に乗り換えて上野へ。
駅の人ごみでは、両手の塞がってるぼくのシャツにつかまりながら頑張ってついてきている。
常磐線のホームでコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチを食べた。

ねぇ、はじめてだね、ふたりでこんな旅行みたいなのってさ。

66分で荒川沖駅。
改札の外では夕べ現地入りしているArifとSakoちゃんが、まるで福岡空港のときみたいににこにこと手を振っていた。
ライブ会場になる「ねこ屋」の旦那、ゆーじくんの車にピックアップしてもらう。
ドリフのDVDをたくさん送ってくれたひとだよって息子に言ってあったけれど、バリで何度か会っている
ねこ屋御夫妻とはうまく結びつかなかったみたい。
ま、いいでしょ。すぐに仲良しになったし。
トンでもなく甘い「お子さまカレー弁当」で失敗しながらもねこ屋到着。

ここはなにか不思議な場所にある。
道一本挟んだ向こうは自衛隊のヘリコプター.ベースのフェンスが続いてる。
で、反対側に林や竹林に囲まれるように建っている。
広い庭のある古い民家がそのままアジア雑貨のお店になっていて、がらがらとガラスの引き戸を引くと玄関の三和土。
もちろん靴をぬいでお邪魔します。
ぼくは2月のツアーでも来ているし、あぁ、久し振り、な感じ。息子にとってもバリで見慣れていたものばかりの溢れる店内だから、きっとそんな気分だったんじゃないかと思う。
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明日のステージは庭に残っているコンクリの家の土台を使う。
基礎工事の開始が昭和38年某月某日、とサインがある。
砂利で囲んだ石の舞台をぽんと原っぱに設置した感じで、色んなことが出来そうだ。
ここにみんなで座り込んで乾杯。まだ夕方には大分間のある時間。
サウンドシステムや照明の具合をチェックしたり、買い物に出たり。
息子は土台でごろごろしたり、プレステやらせて貰ったり、庭で走り回ったり、犬の満月かまったり、出たり入ったりして勝手に遊んでる。助かります。
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晩ご飯は目ざといコドモの希望でなんと「サイゼリヤ」
「うわぁ、ここ安いっちゃ〜ん!」とワイン好きの九州組が感激してる。1杯100円也。
このメンツでファミレスにいるっていうのも、なんか不思議でね。
帰ってから焼酎「桜島」でまた乾杯。
九州の夢の尻尾がつながった、、。

*2006年7月23日(日)茨城「ねこ屋」

今日はこの辺りの祭の日。朝から花火がぽんぽん上がっている。
そしてこっちは「ねこ屋まつり」
一番近いコンビニまで歩いて20分、畑と祭の神社、息子とふたりで楽しく散歩した。

ところで天気が心配である。
予報は終日曇り、でも空の雰囲気はかなり未知数的、怪しい。
当日入りのBunを待って、サウンドチェックとリハーサル。
対バンの大所帯アフリカンパーカッション.グループ「YELEE」もぽつぽつ現れる。

こども連れのトモダチ一家、赤ちゃん連れの友人夫婦、とすごく嬉しい再会。
あぁ、来てくれたんだぁ、、

YELEEの演奏の終わるあたりから、でもぽつぽつと降り出してしまった。
取り敢えず楽器や機材にシートかぶせて様子をみたけれど、変化なし。
で、ここからが良かった。
素早く竹を切り出したゆーじくんとYELEEのメンバーがあっという間にステージに養生シートの簡易テントを立ててくれた。お客さんだって手伝ってくれる。

暫くはテントに隠れての演奏だったけれど、ステージの1部が終わる頃には雨上がりの香しい空気。
コドモらは走り回り、お菓子食べて、走り回り、カレー食べて、走り回り、、
ん、良く見るとYELEEのメンバーも混じってるぞ、というような素敵な連中でした。

PeaceWalkを演奏中に、PAスピーカーの根元に設置したジャワ地震被災地への募金箱に何人ものひとが募金を入れてくれた。
松明の灯りに揺れる、ぼんやりとした、でも綺麗な、ちょっと忘れられないような光景だった。
あの曲のメロディーは、音楽家としては演奏していてとても幸せになるものだけれど、今晩はなにかそれ以上のものが貰えたんだと思う。
ステージ最後は恒例の大セッション大会。すんごい盛り上がりだった。祭。
Nekoya3
演奏がハネたあとも、まだ帰りたくないお客さん、演奏者たち大人数の打ち上げ。ねこ屋の奥座敷。
なのでコドモらはまだまだ走り回り、、
茨城の夜は更けてって、何時頃寝たのか憶えてないし。

*2006年7月24日(日)東京/平井(Bun宅)

午前中に電車で移動。
全員が大荷物。しかもなんと言うか、やはりそれなりのエスニックな服着てるし、ナンの人たちですか?ってな感じの常磐線で上野へ。
そこからお迎えサトちゃんの車で平井のBunの家へ。
息子のお楽しみ第二弾はBun自慢の娘姉妹。下の子は息子と同い年だし滅多に会えないけれどやつの大事なトモダチらしい。
Mon
夜は家族みんなとメンバー、そして東京スタッフと最終打ち合わせ。
平井のもんじゃ焼き屋さんで。実はこれがもの凄くぼくの楽しみだった。
もんじゃは最初のmixが肝心、、その名人がBunなわけ。
ま、打ち合わせと言うか、もんじゃマスターの名品を味わう会、と云うか。旨い、、とにかく旨い。
で、コドモらは走り回り、でも店内なのでとうちゃんやらかあちゃんやらに怒られつつ。
続きは家で黒糖焼酎やらワイン。サトちゃんの美味し〜い肉団子スープも。
「ミチローさ〜ん、今日は寝かせませんよー」なんか言われつつ、でも息子より早くダウン。すんませ〜ん。
なんと他のメンツは朝までコース、、タフだねぇ、みんな。

*2006年7月25日(月)まだ東京 / 平井(Bun宅)

明日ここから浜松へ移動するので、今日はゆっくり。
それぞれ散歩に行ったり、寝てたり、コドモらはコドモらで適当になにか遊んでたりで、ぼくもごろごろ。
でも夕方独りで散歩に出てみた。
実はいつもちらりと見るだけだった平井駅周辺の商店街は、ずうっと気になっていた。
今日はじっくり探索できる。
だから商店街を歩くのに一番すきな時間まで待っていたのだ。
何時、とは言えないけれど、時間も空気もひともお店も電柱も、いろんなものが曖昧になってゆくアノ時間。
食べ物の匂い。晩ご飯の買い物。焼き鳥屋の暖簾がそろそろかかる頃。呑み屋のドアが開く頃、その向こうから流れてくる夜への匂い。
商店街のお店が全部開いてる時間。
商店街を歩くのに一番いい時間。

いま買っても仕方ないものばかりを、でもなんだか買いたくなってしまう。
ここはそういう商店街。だからだいすきな商店街のひとつになった。

今晩はちょいと控え目に。


*2006年7月25日(火)浜松 / Payaka

静岡へ向かう途中、家人が迎えに来ているバスの停留所で息子を降ろしてもらう。
あ〜あ、楽しかったね。またこんなことしたいね、と息子と目くばせ、、と言いたいところだけれど、車で曝睡中を無理矢理起こして、じゃあばいばい。明日帰るからね。
Paya
Payakaは3年振りくらいかな。
ガーデン.テラス.カフェとでもいうような気持ち良いものが出来ていた。
バレ(東屋)もあって、なんだか昔からUbudにある老舗カフェって感じなんだよ。なんと言うか、マテリアルの選び方のセンスなんだと思う。
オーナーのトオルとはぼくはバリの頃からの友だち。
今晩は勿論このオープン.エアのステージ。

夕焼けの光が消えかかり、照明やローソクの光が綺麗に見えだした頃にスタート。
本当にUbudで演奏しているみたいだった。
お客さんたちがじーっと聴いている、、今晩はそういう伝わり方なんだね。どの楽器の音も気持ち良く伸びていた。
Sakoのダンスがみんなを運ぶ。
足許はLombok島産の石畳。木陰の隙間から夜の空を見る。植物が腕に触れる。
Ubudの夜の大気へ放つ音たち、、そういう時間が流れていたのかも知れない。

楽器をやるひとたちもたくさん来ていて、ライブがハネたあとも、小さい音で夜が更けるまでセッションをこころゆくまで楽しんだ。友だちがたくさん出来た。
まさにこのノリはUbud。いつまでもそうしていたかった。
泡盛とワイン、飲みながらのセッションって久し振りだった。

朝、早くに目が覚めて外のカフェに座ると、待ちかねた夏が来ていました。
そうしてぼくは、もう息子に会いたくなっていた。おはよう、、むぎ。

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「 ときどきトランス日記No.13 / PlanetBamboo + Bun :九州ツアー日記、其の二 」

*2006年7月4日(火)鹿児島の最初の夜。

車で3時間半。
市内に入ったら、あぁ、ここにはなにかちょっとあるな、と思った。映画の中の町みたいだった。
車を降りたら、陽に灼けた古ぼけたレースのカーテンがふわりとぼくの頬をかすめた。空気の匂いがぼくを包む、そして惑わす。

ぼくの古い古いトモダチが鋪道で待っていた。
なにか照れくさいような気持ちを互いになんとか誤魔化しつつの再会を果たす。
あとははやいとこ呑んでしまえばいいのだ、はやく夜になればいいのに、と思う。

ちょうど良い高さの低い山に抱かれてる町。
反対側は気持ち良く海に向かって開いている。活火山、桜島がどーんと対面している。
路面電車の走る町。
石の古い建物の町。異国情緒っていう言葉が似合う町(この言葉は簡単に使われてしまうけれど、その本当の意味を肌で感じると、あぁ良い言葉なのだなと気付いてしまう)

けれどいま、いまこの石の鋪道の上から港が見えるわけではない、鼻腔の奥に微かに潮の香。間近に海を感じる町。
あと少しだけ歩けば港が見えるはず。そういう場所がぼくはすきだ。

矢野顕子の歌うはっぴいえんどの「風をあつめて」
細野晴臣の声の味わい、とかベースのライン、音色、とか。

目抜き通りの天文館あたり。
食べ物屋と呑み屋がひしめく、、匂い、ひと、匂い。
トモダチはこんなところにお店を何軒も経営している。
エスニックなバーや雑貨店、昭和の匂いを強く出した呑み屋やレストラン。
彼のセンスや思いがぼくにとっての鹿児島になってゆく、、

何軒ものそういうお店を巡って、いったいどれほど呑んだのだろう?
焼酎の湖では遭難することはあるかも知れないけれど、沈んで溺れる心配はない。どこかあたまの天辺の方が上に向かって引っ張られるような酔いだから。

最後にいたバー「ハザマ」で、ぼくは本当にハザマにいて行ったり来たり(つまりは落ちたり昇ったり)していたようだ。泳いでてちょいと足がつっちゃったのかも知れない。

トモダチが気持ちの良い家を用意してくれていたので、どうやって帰りついたのかちっとも記憶にはないけれど、朝方に倒れ込むように眠ったのだろうと思う。

*2006年7月5日(水)鹿児島の二番目の夜。/カフェバー「アポロ」

「アポロ」ここはトモダチのいちばん新しい店鋪。
夕べはここでもたくさん呑んだ。
そして食べ物が凄く美味しいのだ、ここ。盛り付けのセンスにも一切手抜きなし。
きびきびと礼儀正しいスタッフの子たちが、あっという間に機材の搬入やらステージスペース作りに動いてくれる。

リハーサルが終わって、さてラーメンでも行きますかってな頃に降り出した雨はじきに雷雨に。
とうとう大当たり、、
けれどその頃ぼくはそれどころではなかったんだ、忘我で、鹿児島ラーメン「豚とろ」で。
まずチャーシューにヤられる、普通のラーメンなのに大判の豚とろチャーシューが4枚。これが抜群に旨い、4枚もあるのでケチケチしないで食べちゃう。
スープも博多のものとは明らかに違う、、けれどどう違うのかって言われてもなぁ、、物凄く旨いんよ、こってりしててさぁ、、
そして、メニュー見ながら、おや、と思い頼んでみたのが「たまごかけごはん」
卵サラダとスクランブルド.エッグの中間みたいな、でもさっぱりした味つけのものがごはんにかかっていてやたら旨い。
外は大雨、傘は4人で2本、満腹で動きたくはない、忘れ去られた我は帰っては来ずに思考は停止中。
けど、トモダチは店主の立場上、もうすぐのDoorOpenには戻らなくちゃと、全員ずぶ濡れでアポロへ。
Apo01
雷雨はますます激しく、止む気配なし。なのにお客さんは続々と来てくれて、90人。お店のスタッフやぼくらを含めたら100人以上のひとたちがあそこにいたんだねぇ、、
滝のような土砂降りのなかにぽっかりと、ビルの3階、空中。流れ落ちる大量の水のなかの安全な窪み。
それはやはり夢のなかのよう。
Apo02
演奏についてはね、九州ツアーでのPBのフル.ステージは今晩が最後。ますます良い感じに熟れていた。
最後はオーディエンスの女の娘たちとSakoのアフリカン.ダンスで物凄い盛り上がり、九州ツアー一番の騒ぎに、、。

さぁ、呑もうよ。きっとまた朝までだね。

そういえば、今日はお昼頃に独りで散歩に出てみた。
歩いてみて初めてわかる、この好ましい町のサイズ。途中雨に降られて実はいくらも歩けなかったのだけれど、それでもわかる。
雨宿りしながらの紙パックの珈琲牛乳をごくごく飲んだ。

うん、鹿児島はいい。とってもいい。

*2006年7月6日(木)鹿児島/バー「IPANEMA」

おおきいね桜島って。
車のなかから見てもそう思う。
「今日はあそこの温泉に行きましょう」ってトモダチがお昼過ぎに迎えに来てくれた。
お昼ご飯は港の奥の魚市場のなか。ここで働いているひとたちのための食堂が数軒並んでいる。
そのなかの「市場食堂」
開鯵定食の鯵は30cmはある迫力。魚も食べたかったけれど、ぼくは「たまご焼き定食」にどうしても惹かれてしまってそれにした。
ふんわりしてて、やさしい味つけのおかず。味噌汁に漬け物にふっくらご飯。癒されるとはこういうことだ。身体が求めていたものを食べた。実感。
Sakura01
車ごとフェリーに乗り込んだ。
車から出て甲板へ昇るとき嬉しかった。
雲の分厚いクッションに頭を突っ込んでる桜島は二日酔い、ちょいと不機嫌そうな大将だ。

風と曇り空と溶岩の風景。
そのなかを車で飛んでゆく。

ふるさと観光ホテル「龍神露天風呂」
温泉はきっと10年ぶりくらいだな。混浴なので白い浴衣を着て入浴。ぼくはこういうのは初めてだった。
斜めに岩場を滑り降りてゆくエレヴェ−タ−を降りて、露天風呂にでるとそこはまさに別世界だった。
海がひろがり、その岩場までホンの数歩、、海水に足を浸けてみた。

巨大な樹の複雑にからまる根元が龍神を奉る祠になっていて、それがお風呂につながっている。
海水際のおおきな岩まで太いしめ縄が渡っていた。
上を見上げると、絡まる根の一本は巨大な蛇。生きている蛇の質感が生々しくて、青大将だね、あれ。

大粒の雨を顔に受けながら、でもぼくはお湯の浅瀬でぐっすり眠ってしまったらしい。
寒くて目が醒めたら誰もいなかった、と思ったらBunが向こうで眠っている、、
時計を見たら3時半、しまった、、今日の入り予定は4時。
慌ててもう一度暖まってから上に戻った。

車に乗る頃には身体はもうとろけきっている感じで、これからステージという現実感が希薄、、
けれど、フェリーの甲板のうどん屋さん(これは帰りにはきっと食べようとこころに誓っていた)でかけうどんを食べてたら少しだけ帰ってこれた。
これも旨かったなぁ、、おつゆのだしがとても良し。しかもかけうどんなのに天かすたっぷり、ねぎたっぷり、おまけに薩摩揚げが一枚どーんと乗っている。あぁ、九州ってホントいいなぁ、、
フェリーで15分。しかも24時間運行で頻繁に便がある。
これは次回の鹿児島は桜島のために一日必要、いやいや、いっそ桜島ベースにしちゃおう、だって終電がないわけだから思いっきり呑めるじゃん、、とか言うやつもいて。
ふふふ。なんていうくらいみんな大のお気に入りの場所に。

勿論全部見たわけではない。それでもわかる、しつこいようだけど。
鹿児島ってサイズがいい。ぼくのサイズだとなんとなく思った。
海と山との距離感がいい。町に流れる速度が好ましい。

ところで今回は途中からツアー.メンバーに幻のエンジニアが加わっている。
名前は「ふくちゃん」
これはミキシング.エンジニアがいないと、Bunの後方からふわりと現われて、てきぱきPA関係のことやってくれる。
いつも忙しそうなので、Bunを通さないとなかなかお話するチャンスがない。
彼の特技は臨機応変の配線、嫌いなものはマイクのハウリング(フィードバックとも言う)
今晩の「イパネマ」でもきっと来てくれるだろう。
Ipane01
「イパネマ」23年の歴史あるバー。店主のpeteくんは2代目だそう。
どんな音楽でもその古臭いジャジーな雰囲気で包んでしまうんだろうなぁ、、出会いの惑星なんだな、此処も。
今晩は今回の全ツアー中、唯一のSonicBambooのステージ。
イパネマから連想して、アレンジを変えてきた曲もあって、それを演奏するのも楽しみだ。
演奏直前にもうひとり、とても会いたかったひととの再会があった。あぁ、これで揃ったのだな、と思った。
Ipane02
ところで今日は空っぽである。
温泉でみんな出て行ってしまった。
大丈夫かな?とはでも思わなかった。なにも考えずにステージにぼくはいた。
そうしたら出て行ったものたちがステージが進むにつれてどんどん帰ってくる感覚があった。いや飛び込んで来ると言った方がいい。
凄いスピードで。ゆるいテンポの曲でさえ、それらはぼくのなかでぱちぱちとはぜるように、弾け飛んでいた。
Sonic / Slow. . . まただ。またこの感覚だ。
Ipane03
ぼくはそれを音に変換して外に出しただけ。だから殆ど客席には目がゆかなかった、、ひたすら身の裡に目を向け集中していた。

Sonic / Slow、何年か前にふいと言葉遊びのようにして浮かんできたこの言葉。
でもいつでもぼくとともにある。忘れなそうな時には叱っておくれ。犬のように吠えておくれ。猫のようにあたまこすりつけておくれ。思い出させておくれ、、

ステージ前に古いトモダチと、最後にふたりだけで外に行って呑んだ。
うん、ステージがハネたら福岡に戻る、、でも鹿児島の三番目の夜は終わらない夜。

*2006年7月7日(金)福岡市内。

今日はオフ。
夕べはいったい何時頃帰ってきたのだろう、、それでも帰宅してから朝まで呑んでいたよな、確か、、
ゆっくり身体休めたりパソコンでちょこちょこなにか書いたり。みんなそれぞれ。
ところでぼくは、独りぼっちの散歩を愛するものだ。
だから気に入っている大名の辺りをゆっくり歩きたい。散歩の始まりはいつもわくわくする。そして歩きまわって疲れて帰ってくる。お腹が空いたりもしている。
満足な時もあるし、不満足なときも多い。それでもまたそのわくわくを感じたくて散歩を始めてしまう。
今日はとても満足。
通りかかったデパートでこどもの本のフェアをやっていた。
別に東京でも買えるものだけれど、帰宅してすぐに鞄からなにかお土産が出て来たら嬉しい。ぼくはそうだから、息子にお話の本を2冊買った。
これにライオンサーカス団の絵本「星みる少年」も足してあげよう。明日一緒になるからきっと買えるだろう。

明日は朝までのイベントで、深夜に戻って来て朝には空港なので、今晩がツアーの打ち上げだ。
晩ご飯は有名な「秀ちゃんらーめん」へ。
うん、ここのも旨い旨い。九六(くろ)らーめんというのを食べた。その名の通り黒っぽい脂が厚く浮いている。
焦がし脂と言うのかな、コクがあって香ばしい脂とスープが麺に良く絡む。
そしてつまみやお酒を買って、お家で朝までコース。
明日が九州のファイナルだけど、いや、ホント凄かったよねー、楽しかったよねー、よねー、よねー、とそればかり。だって本当にそうだった。
よねーダブで眠りについたんだろう。

*2006年7月8日(土)九州ツアー最終日/福岡、浮羽「Ibiza Smoke Restaurant」

ディジュリドゥー奏者のてっちゃんの実家は温泉だ。
イビザのある山への途中にある。
今日で3回目の共演になる彼の御招待で寄らせてもらった。

あぁ、また温泉だ、嬉しいな、、
ところで、なんと浴槽以外のとこは畳だった。畳のうえをお湯が流れている。みんな畳の上で身体を洗っている。
洗い流したシャンプーの泡が畳を流れてゆく、、なにか悪いことをこっそりしているような気がした。いや、むしろこれは、色んな断片が組み合わさった奇妙な夢のなかのようでもあるね、そのうちなにかとんでもないことが起こりそうな予感の風景、、

露天風呂は気持ち良かった。蝉が鳴き始めていた、夏の匂いがしていた。妄想も消えてゆく、、

ところで畳についてはやはり聞いておいた方がいいと思った。
ぼくはこれは伝統的なものなのかとも思ったのね、なにか殿様っぽい。
けれど、これは最近始めたんですよ、とのこと。転倒事故が減った。おぉ、たしかに滑らない、転んでも怪我しない。足腰の悪い人や御老人には足許が優しい。おぉ、本当だ、歩く時の衝撃の緩和が、、

てっちゃんは神楽舞いの名手でもあるんだって。なにかそういうこととか色んなことが裸で隣に腰掛けている。上手く言えないけれど。とても「ひと」の匂いがする。

そしてとうとう最後の一麺だ、、
久留米「大砲らーめん」なんと昭和28年創業の屋台から続くお店。当時からスープ釜を空にすることなく、現在まで注ぎ足し注ぎ足し作っている歴史的なスープだそう。
「昔らーめん」のこってりを注文。
おぉ、がつーんとキた。初日に食べたあの衝撃が蘇る。
素晴らしい、、そうかそうかこれだったのかぁ、、とまた独り呟く。
山へと向かう何気ない幹線道路にこれほどのラーメン屋がね、、

更に車は山中へ、途中から携帯も圏外。
景色がどんどんと日本昔ばなしになってゆく。
沢のそばに建っている厚みのある家屋は重要文化財の指定も多いそう。
てっちゃんは囲炉裏のある古い古い民家に犬や猫たちと暮らしていた。
ここもまるで夢のような道。
そしてとうとうIBIZAレストランに到着。
石と古そうな木材でがっしり組み上がった、なんともここも別世界。
今日は年に一度のイビザ祭。PBはオープニングの演奏。なんとインドのシタールとタブラ奏者との共演なのだ。それにてっちゃんを加えて。
これはまるっきり合わないか、ばっちりかのどちらかだろうと思っていた。
だから取り敢えず音合わせしてから、となっていて、そしたら後者だった。
なんとも素敵な音世界が出現した。
最初はにこりともしなかったインド組ふたりもにこにこしてる。あぁ、インドのひとって笑うと途端に表情がかわるんだねぇ、、
そして、こりゃ本番はもっといいぞと思う。
Ibiza01
本格的に降り出していた雨はオープニング時は上がって、月が見えるほどになった。
めっちゃ天気に強い新生PlanetBamboo。

だらだらしたセッションに流れるのは絶対に避けたかったので、今日のステージはPBがリードせねば、という気持ちも強く、なのでPBの持ち曲ふたつを組み合わせていくことにする。
BungaJatuh〜2台のカリンバのためのダンス。
思った通り、いやいやそれ以上のフィーリングが出た。ぼくはマンドリーナで自分の出来うるベストなプレイだったと思う。
最後のコード、ワン.ストロークで1弦がぴしっと切れた、、よくぞ最後までもってくれたと思う。この楽器は弦のテンションがキツいので、いったん何処かの弦が切れると、それが他の弦に干渉してチューニングが滅茶苦茶になってしまうのだ。
Ibiza02
20分ほどのステージを終えて、みんな満足そう。
これは次回はこのセットでちゃんとしたステージ企画せねば、、ということになったらしい。いいね。

さぁ、あとは祭を楽しむだけ。
今晩はいい音楽のグループがたくさん出演してる。祭だもん。

*2006年7月9日(日)帰宅。

4時間くらいは眠っただろうか、、?
Sakoちゃんに「そろそろですよぉ〜」って起こしてもらった。

福岡空港11:50発/羽田ゆき。

ツアー前半が夢のように終わってしまった、、
飛行機の中で何度も眠ったり起きたりを繰り返しながらそう思った。
ついさっきまで一緒にいたひとたちがもう居ない、、。
Pbk

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「 ときどきトランス日記No.12 / PlanetBamboo + Bun :九州ツアー日記、其の一 」

*2006年6月28日(水)羽田〜福岡 

9時25分発、SKY 007便/福岡ゆき。
電車とバスを乗り継いで羽田空港第一ターミナル。
荷物は重量オーヴァ−。着替えにマンドリンにエフェクター、ケーブル、マイク、サンプラーでぎっしりのオレンジ色のスーツケース。バラしたバンブー.シロフォーンとアルト.ギターの入ったデカい布バッグ。超過料金。

空港へ向かう直通バスの一番前の席でぼくは後ろへと消えてゆく風景を見送った。ホンの一週間前まで小突かれるようにして働いていた工場のこと思い出してた。
勿論この夏のツアーがすべて終わってしまったならば、ぼくはまた何処かで働かねばならない。けれどもう、きっとあそこには戻るまい、そう思っていた。

飛行機よ、昨日までのぼくをひき千切って彼方の場所まで連れてっておくれ、音楽の場所まで、あの場所までさ、、

滑走路では自分達の前に5機ほどの飛行機が離陸の順番待ちをして縦に並んでいる、国内線というのは何と言うか、行儀良くきびきびしている。
隣に座っているBunの横顔が遠くなったり近くなったり。
今日予定されてるリハーサルに一回でもステージをこなせばそれはベストの位置に来る、だからゆっくりそれを待つ。

空中。大空のなか、と言うよりはもう少し低いところを飛んでいる。この高度は飛んでいる実感が気持ちいいな。

ちょいとディレイドして11時半くらいに到着、熱気が押し寄せる。この皮膚感覚は馴染みのある目眩だ。
ArifとSakoがガラスの向こうでにこにこして手を振り廻している、早く向こう側へ出たいと思うんだけど、預けた荷物のターンテーブルはこっちだよ、って。
こういうのは夢の中の風景に似ている。

仲間との再会はどきどきする。
今回は中盤の鹿児島で更におおきな再会が待っている。

再会、というのは「意味」なんだと強く思う。
行動や流れ、受動やはじまり、そして発生する意味。それはあらかじめ用意されたものなのか、それとも新たに生まれでたものなのか、ぼくはそれを知らない。
いつか知る時がくるのかも知れないし、それを待つだけの人生なのかも知れない。

『さぁ、それじゃ日記を書きはじめよう。
今は7月の10日、朝9時。昨日帰宅したんだ。
まだ夢の名残りのなかにたっぷり浸ってる、、』

Sakoちゃん家の自宅スタジオ(ぼくとBunのこれからの寝室でもある)で、すぐに極限までばらばらにしてきたTingklik(バンブー.シロフォーン)を組み立てる。
フレームは変わりないけれど、バンブーの鍵盤の釣り下げの具合、これが結構微妙な作業。
気分に左右されやすい面倒な作業。
疲れていたりすると、まぁこんなモンかな、の出来具合い。でも今日は真剣、慎重だよ。
2月のステージとは少し雰囲気を変えたい、っていうのもあって、PBの古い曲のモティーフに、それぞれの引き出しから慎重に音を出し合って重ねていった。
Riha01
うん、これなら上手くいきそうだなってところで終わりにした。
やりすぎるのはいまは良くないし、お腹は空いて来るし、はやく町の様子嗅ぎたくてそろそろそわそわ。
そしてビール飲んだりお寿司つまんだりしながら積もる話してるんだけれど、なかなか暗くならないな、、西にいるんだなぁ、、

自転車がちょうど4台ある。
博多は自転車だと思う。
巨大な鳥居のある神社の境内を走り抜けるとき、ぼくの皮膚は粟立つようだった。
町の隅々まで知りつくしているArifの自転車は地元の中学生で、小学校5年生のぼくが一生懸命ついてゆく。
ははは、2年生の我が息子よ、とうちゃんはこんなところで小学生に戻っているんだよ。わはは、ははは。
Riha02
ぼくは麺類がなんでもすきで、とくにラーメンはすきだ。
地元のSako/Arif、ともにラーメン.フリークのお薦め店は何軒かあるらしい。
そういう彼らの最初に選んでくれたのが、ぼくの博多ラーメン初体験になる「博多一幸舎」
店内の強烈な匂いに、ただでさえ不安定な旅なかのこころの軸がぐらりと揺れる。
そして、、
最初のひとくちで不安になった。不安になるくらい旨かった、、
ナンでもカンでもに「ヤバい」というのはそろそろ考えものだ。けどこれはホント−に「ヤバい」かったぜ。
いや、ヤバかった。
Bunの日記にも書かれてしまったが「これだったんだぁ、、」と自然に口をついて出た。
白濁した脂のどろっとしたスープが細麺にたっぷりと絡まってくる、普通のラーメンを頼んだのにとろとろの大判のチャーシューが2枚も入ってる。
生姜、胡麻はたっぷりいれて、さてしかし、目の前に生の大蒜がごろごろ積んである。そして重量感のある鋳物らしい大蒜潰し器具がある。
う〜ん。
これはどうしようかなぁ、、まだ初日だしなぁ、胃腸の調子はなるべく温存した方がなぁ、これから毎日焼酎だしなぁ、鹿児島ではさらに呑むだろうしなぁ、、などと不安の尻尾をさらに伸ばし始めた頃、、
「うわぁ、こうやって出てくるんだぁ」などといい乍ら隣でBunが写真撮ったりしてる。
なんと、潰された大蒜がペースト状になってところ天のごとく垂れ下がっている。
そして入れた、まいった、完全にやられた。あぁ、もう帰れない、、な感じ。

この辺は「大名」というエリア。
昼でも夜でも、程よく洒落ている。ぎっしりしていなくていい。
そこをゆく、顔てかてかぴかぴかの4人組は明日のライブ会場の下見。
イビサルテというレストランのイベント.スペース。床が木なのがまず嬉しかった。とくにSakoとぼくは床の材質にこだわるのだ。
Sakoは足の裏の感覚なんだろね、ぼくは床に直に置くTingklikの響き。だから石でもいいんだ。最悪なのはカーペットが敷いてある場合、、音を響きを吸われてしまうんだ。

あぁ喉が乾いた、さっきスープ全部飲んだもんね、って、地下のBar「トロンコ」へ降りた。
焼酎ロック一杯で昨日までがすうっと遠ざかる。最初の一杯でゆるゆると夜の時間が流れはじめるあの感覚と僅かに違う。きっと生活の場ではないところにいるからなのだろう。
ともかくも、ぼくとBunはこの晩に焼酎の湖の畔に辿り着いた、そしてだんだんとそこの住人になってゆくことになる、、

* * * 今回ぼくはデジカメが壊れてしまったので、写真がないのです。
なので、BunやSakoちゃん、sunaからお借りしてます。Terimakasi ya!
そして垂涎モノのラーメン写真やら食のレポなど(もちろんライブレポもね)盛り沢山のBunのブログも是非覗いてみてね。
http://blog.so-net.ne.jp/bun-bun/2006-06-03

*2006年6月29日(木)ツアー初日/福岡「イビサルテ」

いやー、凄い気合い。で、入り過ぎてしまった、、
一曲目のBambooForest、早過ぎるテンポで出てしまった。しかしテンポ落す訳にもいかず、どころかこの曲は自然とテンポ.アップするのが常なので、ヤバいことになってしまってるなぁ、、と早速息も絶え絶えになる。
何故なら通常のテンポで、結構パングル(バチ、と言うかステイックね)の動きが筋肉的にぎりぎり。
まぁ、しかしこれで我にかえった。
じっくりと記念すべき初日を作り上げていく。
Saru01
この音がどんどん熟れてゆくのだなと思うと嬉しくなってくる。いまはまだみんな音を埋めてゆく作業に没頭している、それがだんだんと隙間が生まれて来て、そこで自由を獲得する。楽しみがひろがってゆく。

音楽とは足していってから引く作業。
音楽とは作ってから壊して、もういちど作る作業。

そしてオーディエンスと一緒に「場」を作る。一緒にうねりを作りだす。
早い話が一緒の空気を楽しむこと、、いまPBがやりはじめてること。
そうしてぼくは、そうだな、、色んな楽器を演るけれど、自分はやっぱりTingklik奏者なんだな、と思った。このところそう思うことがよくある。
Saru02
ぼくはArifとBunとはどんな状態でも演奏できる。リラックスしようと思えばそうできるし、そうせずにテンション張りつめることもできる。夕べは長丁場だったから、行ったり来たりしてた。
アンコールでもういちど演った「BambooForest」はお客さんにポリ.リズムの手拍子を打ってもらって、凄いうねりのある音世界が出現して、最高の晩となった。
これはタイミング次第なのでいつもやれるわけではないのだけれど、興味深いものなんだ。

まずまずの始まり。「時」のはじまり。

そういえば昨日からはじまったのは「一日一麺」というのもある。
麺フリークのぼくの義兄が昔から提唱していて、PBにも自然と伝播。
今日の一麺は薬院の「一風堂」。勿論トンコツですたーい。濃い口の赤丸とさっぱりの白丸がある。
では赤丸で。
これが昨日のとはまたちょっと違うけれど、抜群に旨いスープだ。チャーシューも感動的に旨い。
辛い味つけの高菜ともやしをたっぷりと入れて。
旨いラーメンはもう夢中になって食べている、忘我、ね。
Saru03
おっと、地下のトロンコのイベントとバッティングして、さらに機材も分散してしまっていたのに、一生懸命サウンド.エンジニアリングしてくれた(だって同時に2ケ所の面倒見てたわけだからね)ちからくん。
そしていい味出し過ぎちゃってる、不思議な楽器を操る地元ミュージシャンのおおちゃん。
さらにディジュリドゥー奏者のてっちゃん。彼はBun曰く、確実で調和のとれたミュージシャン、まさにそんな感じのひと。
ともだちがふえることが嬉しい、素直に。
Saru04
地下のイベント「トロンコ.ナイト」に流れて太鼓叩きまくってたら、でも煙草の煙が苦しくなって来て退散。
帰りにはもうみんなお腹空いちゃってるし、まぁ、日は跨がっているけれど今日の二麺いってみようか〜yey yey!のsakoちゃんの号令で家の近くの「めんちゃんこ亭」へ、朝までやっていて呑めるとこ。
この「めんちゃんこ」なにかと言うと、太麺でさっぱりスープの鉄なべ焼き麺。で、具がちゃんこ。
とにかくスープが絶品。はもと鰹、鶏ガラ、豚骨、椎茸なんかを煮込んださっぱりしてて、でも何か深味のスープ。
で、呑み足りないぼくらは早速焼酎の湖へ滑りこむ。
水割りにしたんよ。最初はね。喉乾いてたから。
そしたら大きめのグラスにたっぷりきたのでごくごく飲んだ。
では二杯目はやっぱりロックで、、そしたらさっきと同じのがきた。
ありゃ、間違えちゃったか、、でもいいや、次はロックでと思ってひとくち飲んだら九州がやってきた、突然に。
だってこれロック。
さっきとおんなじ量が当然のごとく入ってる。値段も一緒。
ダブルもシングルもない、ロック。
お馬鹿な酒飲みの感動の一瞬。
「そんなん九州じゃあたりまえっちゃねぇ〜」と舞姫Sakoのありがたーいお言葉。

たとえば東京と九州くらべて、こっちがどうの、あっちがどうのと言うのはナンだよ、それは。
けど東京の呑み屋で焼酎のロック頼んだら、これの三分の一、いやもっと少ないかも、、
しかもシングルだダブルだと小賢しい。値段も。
さすが焼酎王国。
Arif、Sakoちゃんは終止にこにこ、そしてこの後さらに深みに嵌まってゆく予感にぼうっとする酒飲みふたり。

「つまみはやっぱりこれっちゃ〜ん」と姫が取ってくれたのが丸腸の鉄板焼き。ホルモン焼きの一種と思うけれど、これがまたたまらん。焼酎に良く合う。
てろん、くにゃっとしてて、噛むと熱々とろとろの旨〜い脂がじゅわっとひろがる、、

明日はオフ。

*2006年6月30日(金)福岡市内。

雨。
九州は連日大雨、なんてニュースのなか旅立ったわけで、でも今日まで降らなかった。
うまいこと雨の隙をついていくのだ。
お昼近くまで寝て、なんとなくごろごろ。
お昼はSakoちゃんのお母様イチオシのうなぎ弁当を御馳走になる。
うわぁ、九州ってうなぎもこんなに旨いんだぁ、と連日の食の感動。

夜はArif、Sakoちゃん行きつけの近所の居酒屋「池ちゃん」
これぞ居酒屋赤ちょうちん、ってな雰囲気で、確か焼き物がでっかくてやたら旨かった、と思うのだが。
焼酎ロックはかくのごとしと、黒霧島〜赤霧島とかなり呑んだ。実はこの晩の記憶があまりなくて、、

*2006年7月1日(土)田川郡赤村のスロースペース「ぽとり」

車は楽器&機材とひととでぎっちり。朝出発。
スローライフなうどん屋さんでお昼ご飯食べたりしながら、山に向かって2時間。
しかしPBの舞姫は毎日フルサイズのランクルをすいすいと運転してくれて、恐れ入る。

この辺は山のスローライフの拠点で、翌日行く「ラスティック.バーン」が海方面のそれ、なのだと思う。
特有の濃厚な空気感感じる。

会場「ぽとり」は草木染めの家具の工房で、大きな古い山小屋。
天井がかなり高くて床が石のタイルなので響きが凄くいい。
おおきな窓のガラスも効いているかも。
ここでレコーディングしたら良いだろうと思う。MDでちょっと録っただけでもかなり良いからね。
2〜3週間ここに籠ってやってみたいなぁ。PBにとっては理想的な録音環境じゃないかな。
Potori02
楽器のセットやらサウンドチェックの間に、ここの大将のカンさんやスタッフの方々が、流石の手際でステージや外をどんどん素敵に飾っていってくれる。
普段モノ作ってるひとたちだからね、もうそこは。

山の中は気持ち良い。久しぶり。
建物の裏は対岸が竹林で外に薪で焚くお風呂がある。
もう誰も見てないからね、平気で裸になってざぶざぶお湯浴びた。
凶暴な蚊も山ならでは、か。刺されて痛い、ちゃんと。

敷地内をぶらぶらしたり、大きな石に寝転がって空と雲眺めながらU2聴いたりしていたら、ぞくぞくとお客さんが車で登ってくる。
ディジュリドゥー奏者のてっちゃんも黒いビートルでやって来た。
彼と一緒に子犬も2匹降りて来た。なんだか嬉しくなってきた。
子連れのお客さんも多くてね、ぼくも息子といっしょに此処にいたかった。
何故ぼくは家族と離れてひとりで此処にいるのだろう?
音楽を演奏するのとは別の次元でそう考えてみる。
その答えは置いておくとして、あぁ、九州っていいな、今度はきっと家族も一緒に連れて来たいなと思った。
ぼくの家族のすきそうなものがいっぱいだ。
そしてぼくはいつもそうなのだ。
N.Y.でもそう思った。
ごめんね。きっといつか連れていってあげたい。
Potori01
ステージはね、これはもう最高のものになった。
初日の高いテンションがもうこなれてきてる。それぞれが自分の楽しみたい音の場所で自由に寛いでる。
なんという早さよ!
ホンの4小節や8小節の向こう側でBunやARIFが寛いでるのが感じられる。
今晩を作ってくれたスタッフ、そして来てくれた老若男女、幅の広い「ひとたちの場」がPlanetBambooだったんだとおもう。
山の夜にひととき出現した小さな小さな音楽と踊りの惑星。
これはUBUDでのライブの感覚に近い。
そしてPlanetBambooはいま「ナニカ」を掴みつつあるのだと思う。
それが何なのか上手くは言えないけれど、音を奏で、それを受け取るひとがいて、踊りが繋いで、出来上がる「場」に関係があるように思う。
身体の裡に風が起こる。
Sakoの踊りはそれが可能なのかも知れないね。

*2006年7月2日(日)糸島「ラスティック.バーン」

しかしさ、奇跡のように天気予報をハズしてる。ライブのある日は降らない。
で、オフの日は雨。
ライブに関しては、ぼくは雨男ではないかと、自分も、そして周りからの疑惑も強かった。
いやぁ、違ったね。
それか体質改善されたのか?ま、どっちでもイイけど。

山のつぎは海。
右に海を見ながら、左側に手作りっぽい良い感じのカフェやレストランがぽつぽつ出てくる、、あぁ、この感じは何処かで、って考えていたら、あそこ。
Baliの北東海岸のAmed、そうだったそうだった。

そして海の近くの田圃のところにあるちょいと不思議で感じの良いカフェ、というか何やら楽しそうな庭が「ラスティック.バーン」
Sakoちゃん曰く、150%の笑顔のオーナーのマコさんが迎えてくれる。
着いたらもう、フリマやら旨そうなバンの屋台やらビールやらワインやらチキン焼いてる煙も棚引いてて、一気に浮かれモードに、、。
フリマで紫色の前ボタンT-シャツ300円也を購入。
今日はPBと地元(多分、、)のアマネくんというモダーンなブルースを歌うシンガーのグループが出演で「ラスティック.バーン」の6周年記念パーティーなのだった。
このアマネくん、すごく良くてね。で、ユーミンの「卒業写真」をボッサっぽく歌った時にあれっと思った。
聴いた事あるんだよ。
ぼくはいま神奈川に住んでいるんだけど、妹の運転する車であっちこっち出かけたりする。で、たいていFMヨコハマがカー.ラジオから流れてて、聴いた。スタジオライブだったと思う。
ふ〜ん、彼だったのかぁ、、
Rastic01
久しぶりの野外。
やっぱPBは野外だよな、とシート下のでこぼこを感じながら、蚊にぼこぼこに刺されながら思った。
自分の出した音が大気に溶けてゆく感じがすきなんだよね。
今日は夕暮れにはまだ少し間のある時間。
空を眺めながらゆったり演奏できた。
今日はPBの前に「ライオンサーカス団」というグループのゆっきー(作者)の紙芝居『星みる少年」上演もあって、それにPBが即興で音をつけることになった。
ぼくは偶然に前の晩にSakoちゃん家でこれ読んでいて、いいなと思っていたので、ギターですぐに柔らかくアルペジオを合わせてみたんだ。
Rastic02
PBはますます熟れてきている。

ところでね、まさか箸でばらばらになるなんて、、
お皿の上で、旨旨のスープひたひたのなかで、素朴な作りのパズルのようにばらばらにほぐれるのだ、あぁ、美味、、。
しかし白状すると今日までぼくは豚足が苦手でした。返上。
という夕べは、帰り道に「源八」というSakoちゃんArifイチオシの居酒屋。
参った。旨くて旨くて。
今回フード取材にハマっている記者のフクモトBさんも撮影に余念がない。
はぁぁ、、食の新しい感覚が毎日攻撃してくる、目が廻るような日々、、。

*2006年7月3日(月) 福岡市内。

今日はオフ。
雨。
夕方あがったので、みんなでチャリンコで中州までちょっぴりの遠征。
これがやたら楽しいのだ。知らない街をそうやって走る。
ところで今回、アルト.ギターに使っていたコンデンサー.ピックアップの調子が良くない、、で、楽器屋に連れて行ってもらい思いきって違うスタイルのものを購入。
その後は有名な中州の屋台街へ。アジアの都市部の川沿いもこんな感じだったなぁ、、河が近いのでマラッカを憶いだした。
屋台でおでんと焼酎に長浜ラーメン。このラーメンは以外なことにあっさり味だった。
今日は早くに切り上げて帰宅、SakoちゃんArifは早々と就寝。ぼくとBunは旅人なりの元気だけれど、おふたりさんはきっとお疲れモードだろうなぁ、、ゆっくり休んでね。毎晩つきあわせちゃってるからなー。
と、感謝しつつ、眠れないこっちふたり。ぼくはこれ書いてるしBunはカリンバの下絵を描いている。
で、さっきまで飲んでたワインがそろそろ終わりそう、、「ミチローさ〜ん、焼酎買ってきますねー」ってBunが出ていった。

明日は鹿児島へ。

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ときどきトランス日記:11/桜〜横浜青葉区「Ku-cgalla(クーカラ)」3/31,SonicBambooライブレポにかえて。

桜。
桜の咲く頃は、暖かくなってきてたのがまた少し寒くなったり、風が強く吹いていたり。うんうん、確かにそうだったよなぁ、と思い出していました。
Sakura1
満開の桜のたおやか豊かな感じとか、夜に発光している色もいいけれど、花びらを散らしている桜の樹の姿はまた格別だな。
木曜日は風がすこしあったけれど良いお天気だった。
ちょうどお休みだったので独りで桜のなかを歩いた。
浅い瀬のような河沿いにしばらく休んだ。先月の「PeaceWalk」と「TribecaTheme」を聴いた。
暖かい日射しを風が横切って、桜を散らしていった。
明日のステージのテーマはこれかな、と思った。

桜。

あたたかな春の宵、よりはもう少し寒かったけれど良い晩になりました。
クーカラ。
厚みのある空間、洞窟のような空間、ステージは繭の中のよう。
ステージの上下(かみしも)にそれぞれわかれて楽器のセットをしていたら、下手に座っているぼくのすぐ左の耳許でかさこそ音がして吃驚して振り向いた。
誰も居ないしなにもない。繭の内側のホリゾントがやわらかく聳えているだけ。
おかしいなと思って上手のBunを見たら、ビニールの袋からなにか出していて、それがかさかさいっている。
その音がぐるりと天井や壁を伝って廻って、ぼくの左耳のすぐそばに一瞬でやって来て振動の小さな「場」を作ってくすぐったのだ。
普通の聞こえ方とは全然違う。耳許にその音源が触れそうな程近くにある感じ。
あぁ、これかぁ、、
これが完全なドーム体だと、正面にいる相手の出した音が突然頭の真後ろで聴こえたりする。
音、空気の振動の伝播って不思議だ。
今晩は響きの凄いステージになりそうだなと思った。ステージ床は木材を貼ってあるしね、そこに楽器をセットして、持参した家でも使っているお気に入りの座布団を敷いたら落ち着いた。

サウンド.チェックを済ませて、楽しみにしていたショップの方へ行ってみた。
ここは「PLANTS」っていうエコ〜ナチュラル系、いまはLOHASって言うのかな、のショップやカフェやレストランなんかが集まった、体育館とか大きな倉庫みたいな空間。
気持ちの良さそうなものがいくらでも並んでいる。
BaliだったらそれこそUbudやSeminyakあたりにひょいとありそうだし、N.YだったらEastVillage、Londonならカムデンロックの運河沿いのマーケットにあった、こういう感じのところ。
だからなんと言うか、いま何処にいるのかっていうのが溶けちゃうようなところ、かな。
2階の「クーカラ」はその感覚がもっと顕著。で、ぼくたちは音でもっとそうなる。
あの空間をぼくたちの音で浸していいのだ、と思うと嬉しくなってきた。
Sb2
最近使い始めたサンプラー、まだ馴れていなくて不手際もあったけれど、楽器の響きをたっぷり楽しんだステージになった。
今回はアルト.ギターの出番が多かったけれど、これの響きが特に良かった。
Bunのオカリナやネイティヴ.アメリカン.フルートも素晴らしく溶けていた。
とにかく演奏していて気持ちの良いところだった。
どんなにトガった音出しても「場」がそれを柔らかくしてくれるようなね。
カリンバの音は金属の響きなんだけれど、それがとろとろになっていた。ギターやマンドリーナのボディを指ではじいてパーカッションとしても使うんだけれど、これも角が落ちて鋭すぎない良い音になっていたな。
Sb1
しかしSonicBamboo結成当時から聴いていてくれているY氏に「michiroさん、やっぱり本質がPunksだね、今日あらためて確認したよ」なんて言われてしまった。
同年代ゆえ、ほぉ、、と納得してしまうことってある。

だからね、春の宵のとろっとした晩。結局そうなったよ。
Sakura3
そういえばね、友人の歩き始めたばかりの息子くん、時間も遅かったしね、眠たくてちょっとぐずっちゃった時にさ、ぼくがカリンバで自分の息子のために作った子守唄、「紡ぎ唄」っていうタイトルなんだけれど、これを弾いてあげたかったなって後で思った。
でも、最後の「2台のカリンバの為のダンス」ですやすやと眠ってくれたんだね。

*以下はmixiの友人達の日記から抜粋しました。
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会場のクーカラは不思議空間。
洞窟の中みたいでありながら、ステージは繭の中っぽい。触ると硬いんだけど、あったかい空間。
そこでSonic Bambooが奏でる音は、めるてぃ〜なんです。
繭玉の中に入り込んで、ぬくぬくしてる気分になる。
繭の中の二人の世界はどどん広がって、洞窟のような店内全部が繭玉の中になってしまっていた。
Sb3
「2台のカリンバの為のダンス」は、まるでラブソングみたいだ。
個人的にはダブバージョンでも聴いてみたいぽ。
気づいたらさっきまで超ご機嫌で一緒に歌っていたmsmsさんの息子さをは気持よさそうに寝息をたてていた。

店内は珪藻土?の壁で、壁も天井も角がない繭の中という
カンジで、なんか和みます。
彼らのサウンドは私の体にしみこんでいるけど、やっぱ
生音を聞くのは格別です!

バリのテロをテーマにした曲「ピース・フラッグ」と
2人がNYで作った曲「トライベッカ・テーマ」は、
いつ聴いても心を揺さぶる。名曲です!
この曲を早くCDにしたいなぁ。

Live終わるころには、子宮の中で音を聴いている
ような感覚になりました。胎内回帰!?

*写真協力はイチローさんです、ありがとうございました。
そして、ちょっと不便な場所だったけれど、遠くからいらしてくれた方もあり、本当にありがとうございました。

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ときどきトランス日記:10 / 茨城〜渋谷へ(2/19〜2/26、PlanetBambooライブ.レポにかえて)

とうとう、、
やってみたいなぁ、とずうっと思っていたことがひょんなことで実現したのです。
PlanetBambooとして日本で演奏すること。
もちろんメンバー全員来日というわけにはいかなかったけれど、それでも充分にPlanetBambooでした。
今日、3月の2日になっても、まだその日々の細部を思い出すことができません。熟れていないのですね。
ぼくにとってはどんなライブでも一回一回が素晴らしい体験です、それでも今回の日々は本当に特別な体験になりました。
Bali島Ubud村で過ごした10年余りの日々とともにあったグループなのですから。
もう彼の地へ帰らない、ということでは決してありません。けれどいま、この日本で音楽をやりはじめていることの「理由」を少しだけ見せられた、与えられたような気がしました。

それでは日記、始めましょうか。
あ、その前に、、この凄い日々のなかにいたすべてのひとたちへ、最大限の感謝を。

2月19日(日)PlanetBamboo フューチュアリング Tomy-G @ 水海道「FAITH」

朝9時に上野駅でTomyさんと待ち合わせ。9:10の常磐線でひたち野牛久駅まで。
50分くらいのものだけれど、向かい合わせの4人掛けシートでやっと旅気分。
その前の普通電車で上野まではやたら長かった。長いだけだった。

ところでこの一週間、嫌な感じの風邪でさ、さらに息子はインフルエンザ。なのでその菌とも戦いながらの一週間でへとへとになってたんだよ。
ま、体調はこのうえなく悪い、という。
救いは音楽だけ。こういうことはいままでも何度もあったけれど、やっぱり今回もそう。
音はやっぱり助けてくれる、こんなときにも、こんなときこそ。

茨城のコーディネイトをしてくれた友人のO氏宅の裏庭で、先に来ていたArifとSakoに再会。
ふたりとも日本で会うのは初めてで、そういうのって軽い目眩感がある。頭の奥の奥の方の何処かが不安定になって、でも受け入れる作業はすぐに始まってる感じがする。
でもだんだん嬉しくなってきた。
あちこちに猫がいて、満月っていう名前を貰ってるすぐに登ってくる犬。
ところで此処は古い民家を改装した雑貨屋さん。名前は「ねこ屋」
引き戸の入り口をがらっと開けて、靴をぬいでお邪魔するんだよ、いいでしょ。
その奥の間がぼくらの宿泊所。

でもね、居心地を楽しむ暇もなく、すぐに楽器を組み立ててリハーサル。
去年の6月以来、、8ヶ月以上のArifとのブランク。
けれどぼくは心配していなかった。そしてその通り、一瞬でそれは埋まってしまったね。
もうね、無理に、というか作為的に、でもいいけれど、そういうことがいらない。身体の感覚が知っていることなので自然に合ってくれるのだね。
ぼくと彼にしか出ない独特のリズム感っていうのがあるんだよ。
そしてTomyさんもすぐにすうっと融合してきた。アツくなりがちな場をすうっとクールな音色で壊してゆく、これが気持ち良い。
ホンの短い時間のことだったけれど、凄い音楽の時間だった。リハーサルというには勿体ないようなね。
そういうちょっと興奮したような気持ちであったせいかも知れないけれど、この3人のセットのこれがベストな演奏だったのかも知れないなんて思った。

水海道「Faith」
たくさんのグループの出演するイベント。
お店に入ってうわっと思った。
むかしロックをやっていた頃に毎月出ていたライブ.ハウスにそっくり、、広さも暗さもごちゃごちゃした感じもなにもかも。
リハーサルしてる音もね。
でもちょっと今の体調ではたちうち出来ぬ、、
外もなにやら楽しそうだったしね。ねこ屋さんの即席ワルン。奥様のKさんがIbu。
バリ.コピ100円、とかジャンベやら小物鳴りもの売ってたりとか、ちょいとJL.ハヌマンって感じで。
iba-2
今日の異色中の異色のPB。ステージは短い時間なれど凄かった。
オープニングのいつものプラネットバンブー.アトモスフィアと云うかね、シンギングボウルやらの鳴りもので一気に場を作って、あとは突っ走った感じ。
Sakoの踊りもスペースの狭さを気合いで拡げてた感じだったなぁ。
半分くらいは目が点になってて、半分くらいはうわっと来た。お客さんたち。
ステージではもちろん体調などは関係なし、ひたすらいい音へいい音へと引っ張られるからね、そんなこと思い出す暇もない。
iba-1
だから終わったらキちゃったよ。どっと押し寄せてきた。
なかではまだまだイベントは続いているのだけれど、外ではジャンベのセッションが始まっている。ArifとTomyさんが若い子たちを引っ張っている。
ワルンの周りで。
ぼくは車の中で震えながらそれをいつまでも眺めていた。
もうUbudが少しやって来ていたんだね。渋谷はどうなるのかな、なんて考えてた。

2月20日(月)PlanetBamboo フューチュアリング Tomy-G @ つくば市「f'inn」

あったまいてぇー。何故なら夕べO氏宅で打ち上げてしまったのだ。気付いたら朝の4時。
焼酎お湯割りで身体あっためるため、が長くて。そのうちえらく楽しくなってしまって。
こういうメンツでこういうところで酒を呑んでいるってこと自体あたまぐるぐる。
で、体調変わらず、いやかえって少し悪化。はは。

そんななのに今日は雨、、ですごい寒い。冬のこういう日は気持ちも暗くなるね。
けれどお店は満員。
夕べ来てくれたひとたちも多い。こういうのは嬉しい。
今晩はワンマン.ライブなのでたっぷり。
落ち着いてゆっくりと楽しみながらPBの場を構築していった。けれど昨日よりもさらに狭いスペース、、踊りは如何に?ってとこなんだけれど、ふと気付いたらSakoは入り口付近に置いてあったギターアンプの上で踊り始めていた。
なんだか今更ながらなんだけれど、あぁ、おれたちってなんか面白いことやってるよなぁ〜、なんて思った。
Arifのペースがベストな感じで進んでいってる。そしてTomyさんは今日凄い、前半はぼくの大好きな掠れながら出入りする繊細なTomy'sトーン、後半はアツくて滑らかな小爆発が何度もキてた。
iba-3
身を任せさえすれば自分から音が紡がれてくる、なんと幸福な場なんだろう。そう思う。

最後はねこ屋のO氏、若いミュージシャンたちも太鼓で加わってノリノリのセッション。ここにもUbud。
Faithもf'innも良さそうだったり、面白そうだったリのひとたちにたくさん会った。けど、ただでさえ話すのは苦手、しかもそんな体調だったしね、感じるだけで帰ってきた。

疲れた、、とにかく疲れた。

*写真協力はねこ屋さん。

2月23日(木)小松川区民会館小ホール/リハーサル

一日休んで、昨日は頑張って働きにいった。
今日はリハーサル、夕方5時から9時くらいまで。また楽器を山ほど抱えてね。茨城では使わなかったアコギも加わって、凄い重くて大きい荷物。
電車で2時間。Bunの家の近くなんだよ。
これはArifたちがBunの家に泊まっているし、着うたサイト用の録音も兼ねているので仕方なし。
明日も働きにいく。荷物抱えて歩きながら、あぁ、辛いなぁ、、とは正直なとこ。これが音楽だけならばなにも辛いことはない、、いつかそうやってもう一度笑える日が来るといい。
そんな気分で、でも急いでバンブーシロホンを組み立てて、全部の楽器の用意をしてた。

ぼくは最近本当に笑っただろうか?最後にホントに笑ったのは一体いつだったっけ?

レコーダーは回っているのに、腕の筋肉が疲れてしまっていてうまいこと動いてくれない。
Bunが心配そうにこっちを見ているのがわかる。
それでもなんとかぼくの分の録りはOKがでた(ArifとBunは後日)
リハーサルはね、そんな気分をいつまでも引き摺っていたので、音を楽しんで作ってゆく余裕はちっともなかった。
なんと言うか、ぎりぎりでやってた。
不思議なことにこのリハのこと、いまはうまく思い出せないんだ。

なんだか泣きながら家に帰った。

2月24日(金) / 仕事が終わって。

今日は働きにいった。もちろん。
なんだか元気になった。体調も良くなってる。明日は休みにしたし、ゆっくり日曜日の準備が出来る。
楽器の状態も万全にしよう。学校は休みだし、息子と遊んであげよう、ふたりで散歩にいったりもしよう。お昼ご飯もつくってあげて一緒に食べよう。うん、あとでドリフのDVDも観ようね。
うん、とうちゃんはね、少し元気になったよ、、

2月26日(日) PlanetBamboo フューチュアリング Bun @ 渋谷「CoZmo's Cafe」

雨だ。
雨の日曜日。泣けてくるねまったく。バッグが大きすぎて駅につく前にびしょ濡れになるだろう。
集客への影響もきっと出る。
横浜へ出て東横線で渋谷まで。3時過ぎの電車は空いていた。
お店についたら、今晩のサウンド.システムをお願いしたショータローが車の中からにこにこして手を降っている。
ささくれそうになっていた気持ちがなんだか和らいだ。

ドアオープンまで1時間半、彼は実にてきぱきと、でも確実に音を拾って出してくれる。
安心感があるんだよね、こっちが不安に思ってる要素をひとつひとつ確実に取り除いてくれるから。
あぁ、今晩はいい音が出るなって思った。

どんどんひとが集まって来てる。
雨はもうほとんど上がってる。
7時にはもう 満員をかなりオーバーしてステージまで行くのも大変なほど。

7:15、ちょっと押して開演。

BunがいてArifがいる。そのことで自分の裡で開いてゆく場面場面に圧倒される。けれどそれに負けずにその場面に音をつけてゆくような気持ちで。
そしてその場面を揺らしたり、横切って風を起こすダンサーのSako。そうすればさらに音が良くなるのを知っているかのようにね。
欲しいものがみんなあった。

細かいことはいまはまだ思い出せない、でもみんなが自由になることでこんなにもひとつにまとまれるっていうのは、ホントにミラクルだ。
Bunは本当にBunらしかった。そして本番に滅茶苦茶強かった、いつものように。
リリカルだった。優しくて強かった。
音の行方を落ち着いて眺めていてくれた、いつものように。そしてでも、行方のコントロールはさりげなくこちらにまかせてくれる、これもいつものように。大きいのだね。
そこから出てくるメロディーはかけがえのないものなのだ、ぼくにはね。
co-1
ArifはやはりArifらしかった、凄く。
彼の笑顔には知り合った当時から圧倒されていたけれど、今晩もそうだ。もう10年くらいも音で付き合って来てる、誤解も諍いも何度かあったけれど、みんな音/リズムに融かしこんで来た。
そしてそのリズムもぼくにはかけがえのないものだ。探して見つかるものではない、歴史とか時間が作り上げたものだから。
co-2
Sakoはぼくに新しい楽しみを教えてくれたひと。その身体の動きで。
楽しみと言うか、音の新しい出し方に導いてくれたと言うか。
踊りとのコラボはそれまでも経験があったけれど、どうも作為的に合わせ過ぎ、みたいなことやってた。
そうではなく、でもそれぞれ好き勝手にやるのでもなく、自然に出たもの同士が自然に交わりあう、ということ。
彼女の踊りと出す時は、ぼくの指も腕も実に自然に音を紡いでいってくれる。
co-3
そしてTomyさん、、もやはりTomyさん。Tomy-G。
安心して、その繊細さで壊して貰える。誰にも出来ることではない。世界観の問題だからね。
だからかな、自然にPlanetBambooとの縁、歴史が出来上がって来ている。
壊れて散ったものがその場で結実してゆく、そういう映像が目の中で瞬く。これは美しいものなんだ。

そうだね、それもこれも、あれもこれも、、
実はUbud村のはずれでさ、仕組んで自分はにやにやしてるひとがいる。きっといつもの角のワルンで今日も独りで呑んでるんだろうな。
ディジュリドゥやバンブー.フルートの名人。ぼくは御隠居と呼んでいるひと。
そしてもうひとりの黒幕がねこ屋の旦那。このふたりがもともとは仕組んだこと。
御隠居に旦那とくればまるで落語話。そういう嬉しいキッカケでばたばたと、でもこれは実現してしまったことなんだ。

最初はね、茨城だけだったのだけれど、この落語に東京組が黙っているはずもなく。
実にてきぱきっと渋谷を手配してくれたのが、これまたPBとは縁の深いSumika嬢。で、あれよあれよと言う間にスポンサードしていただいた着うたサイトの山内氏が加わって、サウンドシステムのショータロー、当日スタッフのタケダくん、とどんどん決まっていった。
どのひとも普段良く会うひとではないけれど、もともとぼくが大事に思っている友人たちばかり、そしてみなアーティストなわけで。
企画の総括を彼女にお願いしてホントに良かった。ああいう江戸っ子的てきぱきさ、落語にはぴったり、、というのはアレとして、このひとは本当にLive音楽愛してる。ぼくなんかかなわないほどね。
co-4

そしてぼく、、
急に決まったことだけれど、どうしてもやりたかった。やるからには大成功させたかった。
病気になったり、疲れていたり、身体が動かなかったりで気ばかりが焦っていたりした。
急に悲しくなったり、元気になったり。
茨城から渋谷まで、、ぐつぐつと煮えていた日々。
煮え立ってアクが溜まって捲いていた。渋谷の夜はそれを綺麗に掬ってくれた。だからぼくはその綺麗な上澄みのなかで自分をリリースした。
空っぽのうろになれた。
掬ってくれたは救ってくれたになった。

最後のセッションで本当に渋谷はUbud村になった。
アキヒトくん、岡P、Yoshiくん、そしてみんな吃驚のオーボエのTomocaちゃん、Gatheringを完璧に吹いてくれました。

そして、、
本当にみんなには感謝の気持ちは尽きません、全会場にいたみなさん、Ubudからエールを送ってくれたぼくのファミリーたち。
さらにそして、、
やっぱりね、こうさせてくれているぼくの家族へ、いちばんの「ありがとう」と言わせてください。

*写真協力/nao2さん。

*のりさんという写真家の方が素敵なフォトアルバムupしてくれました。ライブの臨場感がすごくいい感じに出ていますよ、是非御覧下さいませ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=94235375&owner_id=131762
http://homepage.mac.com/gogonorinori/live/PhotoAlbum41.html

*この晩のライブ音源やPBの曲、Koh-Taoの曲、それぞれの楽器音などが着うたとしてDL出来るようになりました。
http://www.globalexotica.net/
まで、是非どうぞ。試聴も出来ますよ!

*そして今回すごくお世話になった「お気楽雑貨ねこ屋」さんのHPです。覗いてみてね。
http://www.geocities.jp/zacka_nekoya/

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ときどきトランス日記:9 / 人びとのなかへ、そしてIPOH(イポー)半年ほど前に訪れた美しい町。

2006年 1月7日(土)

もう半年も経ってしまったんだ、、そして年もあらたまって06年。
ちょっと遅くなってしまったけれど新年のご挨拶からです。
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二間きりの古い小さな一軒家で家族三人、11年振りの(息子にとっては初めての)冬越えです。
本当に寒いですね。去年思いきって給湯器をつけておいて本当に良かった。

今日は久し振りのお休みです、しかも独りきりの。
朝からたっぷりすぎるほどの散歩をして、この半年間を反芻してみるも、いまだに「生活」という激しく厳しい渦と木枯らしに捲かれている自分がいるだけでした。

しかし、
それは誰もがそう。
冬の寒さに震えているのは自分だけじゃない、とか、夏の暑さに喘いでいるのは自分だけじゃない、と云うようなことと同じで。

「人びとのなかへ」、、、ふいと浮かんできたこの言葉とともにこの数カ月間暮らしてきました。
ぼくがいま働いている場所へと続く、長いレーンをある朝歩いていて浮かんだ言葉です。
これは生活者としても、表現者としても、いまの自分これからの自分にとって、すごく重要な意味を持ってくるように思われてしかたないのです。
「人びとのなかへ」、、それは勇気のいること。
けれど「人びとのなかへ」、、そう思うと少しだけ勇気が湧いてくる。

良い、悪い、善不善、義も不義も、邪気も無邪気も渾然一体の「人びと」

この意味をもう少し此処で探ってゆかねば。我が皮膚で感じ取らねば。
そう思っています。

そして半年前、、突然帰国することを余儀無くされたその二日前。
ぼくたち家族はIpoh(イポー)という不思議な語感の町を訪れていました。
マレィ半島を旅行中だったのです。
5回目のマレーシア、でもこの町は初めてなのです。
あまり情報のないところだったのですが、セントラル駅は古いモスクの宮殿で、やはりクアラ.ルンプルと同じようにそれをそのままホテルとして使っているのだと。
Majestic Hotel、とにかくそこに泊まってみたかったのですね。
それとやっぱり語感とか綴りの感じに惹かれた。Ipoh、、おっきくてあったかいもの(それはやはりジャイアント馬場に少し似ているのだな)が出てくるおとぎ話のなかのとある町。
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回廊に沿って並んでいる客室、50メートル以上はある回廊の直線部分はテーブルと椅子の並んだ眺めの良いカフェ。
古い古い、手動でドアーの開閉をする巻き上げ式のエレヴェーター。螺旋階段、像の足をかたどった柱(ムーア風建築と云うらしい)市松模様のタイル床。
ひとつひとつ、もっともっと、探せばたくさんある。そのどれもが好ましい要素、、なのだけれど。
どれもが放っておかれている。手がかけられていない。
残念なことと思う。
中華系の民間の経営センス、と云うのか。
必要最小限の徹底。けれどその最小限のレヴェルがいかにもぼくには残念至極。
アジアを旅すると良く出会う、中華系のそこそこの安ホテルの空気が漂ってしまってる。だから宿泊費もそんなもんなんだね。
国営の頃はもう少しマシだったのかも知れないけれど、ここで旧日の華やかさの名残りを探すのも悪くないかな。
ip3
ともかくも、KLからバスで5時間くらい。
夕方近くにチェックインを済ませ、町へと夕食がてら出掛けてみた。
Ipohというのは旧市街と新市街とに分かれ、、とガイドブックにあったので、それは勿論旧市街、と目指していったのだけれど、このエリアはもうほとんど完全に死んでしまっている地域だった。
行けども行けどもお店なんて開いていなくて、人さえもほとんど歩いていない。ぼくのような廃虚好きでも、もうどんどん日が暮れて暗くなってくるし、ましてや家族連れの余所者はなんだか心細くなってきてしまった。
なんだかとんでもないところに来ちゃったなぁ、、

かろうじて見つけた全然活気のないマクドナルドで色々買い込んで早々に引き上げる。
実は翌日知るのだけれど、この辺りが新市街との境目だった。でも暗っぽい端っこなわけで気付かなかった。

翌日は市外にある洞窟寺院へ行ってみた。
あまりにも巨大で息を呑む、、巨大な洞窟がそのまま中国寺院になっている。岩の裂け目を伝う遥か上へと伸びる細い階段通路を登り切ると、ぽんと小高い山の頂上にでる。
ここは入り口から頂上まで、スケール感がくるくると変化して視覚は狂いっぱなし。頭がぐるぐるぐらぐらの不思議な面白いところだった。こういう自分の身体使ってまるごと入り込むダイナミズムは良かった。
階段はかなりのキツさだったけれど、こんなところを息子に見せてやれて良かった、というか一緒に味わった達成感だな。

帰りに新市外に行ってみた。
な〜んだ、こんなに賑わっていたんだぁ。
美味しい中華料理で昼食。
ここはほとんどが中華系の町なのだ。いまは寂れているけれど、旧日は錫でゴールドラッシュ並みで、そのときにうわっと中華系の人々が集まり一気に発展したらしい。
現在は違う産業で立ち上がってきているのだという。
なので旧市街は捨てられてしまっているんだね。
ip1
Kさんは我々のいるホテルに三年ほど住んでいるという年輩の日本人だ。
古い建築物を見るのが好きなのだという、そして古い建築物の宝庫のようなIphoをよほど愛しているのだと思う。
そのKさんが夕方、町を案内してくれた。
古い建物の名品を解説しながらまわっていただいた。

夕方の、時も場所もひとも、そして自分の存在さえもが曖昧になってゆくアノ時間。
コーランが夕空に優しく棚引き、街灯には灯が入り、柔らかい空気のなか泳ぐように歩いた。
美しい町。
なんて綺麗で美しい町なんだろうと涙ぐむ。
世界を震撼させているイスラム世界、そしてここもまごうかたなきイスラム世界。
ip4
「旅」の意味を少しだけ知る。
いや、考えたわけではないのだ、そうしたって答えは見つからぬ。皮膚でただ感じとった、そういうことなのだと思う。

Ipoh名物の柘榴はシーズンをはずしたのか食べられなかったけれど、これもここの名物というモヤシ料理の店に案内していただいた。
太くておおきなモヤシの炒めものと冷たいタイガービールで乾杯。甘みがあってとても美味しかった。
その辺りは賑やかなナイトマーケットで、夕べ心細くうろうろしていた辺りとは道2本隔てていただけだった。
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Ipohの町は隅から隅まで知っているKさんにそんなこと話していたら、穏やかに笑っていらした。
また会えるかな、Kさん。

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ときどきトランス日記:8 / 家族三人が日本で暮らすのは初めてのこと。

2005年8月5日(金)/ Ubud村、自宅。

先月行ったマレィの旅日記、手をつける間もなく、もう少ししたら日本へ帰ります。
色々な事情がまるで偶然のように、けれど必然のように、一気に押し寄せて来て「帰国せねばならない」という一点に収斂していって、ほぼ30日間のあいだ、我家はその点のうえで暮らしていました。
点の上で暮らすのは甚だ不安定なもので、だからやはりそれを解消せねば先へ進めないので、暫くは日本での生活を11年振りくらいでしてみようと思います。
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ところで、自分の音楽家としてのアイデンティティーはやはりこっちにある、ということを今回はじめて感じたのですが、それを外から確認する機会でもあるし。
そうかもしれないし、違うのかも知れない。
それがどのような答であっても、その答を得たときにきっと戻って来ようと思っています。
そうすればいつでもぼくは戻れるのだ、と思います。そういう先への進み方をして戻って来たい。

と、まぁ、、

けれど実際のと云うか、実質上の事情では、来年の4月頃をメドに戻ってくる予定です。
でもこれはあくまでもの予定。
早まるかもしれないし、遅くなるのかも知れない。
自分の、家族の、そして周りのひとたちの、そしてそのとき置かれている状況も、そういうそのときのすべてのことの、気持ちのリンクがうまくなされたときにそうするのだろうと思います。

家族三人が日本で暮らすのは初めてのこと。
時々はそういうことを此処に記して行きたいと思っています。
あぁ、その前にまずは今回のマレィの旅日記書かなくっちゃな。なかなかそういう気持ちになれずに、いまもまだそうではあるのだけれど、日本の生活が少し落ち着いたらきっと。
イポーという名の、とても美しい町を初めて訪れたんだよ。

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ときどきトランス日記:7/ゴミ拾いっすねぇ、、

2005年5月18日(水)/ Ubud村、自宅。

やれやれ、ほぼ2ヶ月振りの日記だ。
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そのあいだに季節が入れ替わった。入れ替わりの兆しや現象なんかを言葉にしたり写真に撮ったりしていたので自分なりの臨場感があった。
旧BBSの頃から少し感づいていたことだけれど、このBlogページで尚更に、そういう方法で「世界」に触れることを知った。

「触れる」とか「絞る」感覚。

本当は誰しもが、自分を取り巻く世界にいつでも全面的に触れている。
けれどその全てが意識上にあったなら生活は成り立たない、今ある世界の有りようでは。
だからそのなかから幾つもポイントを無意識に選びとって暮らしているのだろうと思う。それを意識上にのせて点は線になり囲い込んで面になる。
その面で世界を切り取ることもあろう、点のままで意識することもあろう。
自然にただそうなっているのだと思う。
自分もそうなわけで、でもそのポイントが増えたのかも知れない、注意深さが増したのかも知れない。
あるポイントについて言葉に置き換えようとしていると、大抵は連動している、繋がっているドットがあるもので、意識して追いかけて繋げたり組み合わせたり、または無意識に任せてしまうとか、そのときの自分の状態でどんどん変容して面白くなったり詰まらなくなったり。

「絞る」は「搾る」なのかな、、

ところで、もしポイントがたったひとつのピン.ポイントしかなかったら、その点は他に行き場を持たず、アイデンティティーは単一に形成されて、それは危険な方向に雪崩れてしまう恐れがある。
より深く、より濃縮されて結晶化された点、ダイアモンドの硬度を持つ美しくも狂気を孕んだ鉱物の危ない煌めき、、
だからひとはそうして無意識にでも複数のポイント、ドットのバイパスを設けて薄めたりのバランスを取っているのかも知れない。

幾つかに絞って触れるのだろうか、幾つかを搾り取って触れるのだろうか、、

ポイントの取り方、その複数のドットの織り成す綾がまさに「個」性だと思う。
それらが形作ってゆくのがまた世界なわけで、こっちの世界は「世界/個、己、我、自分、、」
だから「世界」はふたつある、またはふたつしない、でもいいや。
外と裡、それだけ。
この「後者の世界/裡」をストップさせるために「前者の世界/外」に触れ続けるのだ。

幾つかの点に絞って、そこからさらにナニモノかを搾り取って触れるのだろうか、、何れにせよどうやって触れるのか、が問題なのだと思う。

世界が止まると、ポイントのシステムは消滅して自分を取り巻く世界に全面的に触れ続けることになるんじゃないかと思う。
もともとひとはその状態で産まれて、無意識に、本能的にポイントの方法を獲得して、それがひとの成育と言われるものなんだと思う
けれど、ではいまの充分に成育した自分にそういう状態が訪れて固定されたとしたら、、そう考えずにはいられないのだ。
今度は何らかの意識的な能動がきっとあると思うのだ、それが何で、それがいかなる地平に繋がってゆくのか、それが知りたいやってみたいと激しく思う。

けれどいかに意識的なナニモノかがあったとしても、それじゃ暮らして、生活してゆけない、という予測は充分に立ってしまう。何故なら今ある世界の有りようだから。
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ではその世界を変えてゆくしかないんじゃないか?
多分すべての芸術はそのことに繋がっているのではないかと思う。芸術の存在意義はそこ。なのでその成就に至る道は芸術の消滅へと至る道。
累々たる芸術の屍を踏み越え踏み越えして、己もまた滅びの道をゆく。
いまだ「世界」は美を、芸術を生み続ける永久機関で、自分もその一部だのに、それが意味を失う、それが停止する夢を見る。

何故何のために世界を止めることにそれほどこだわるのだろう?という自問はやはりある。だから常に無意識上で、感覚上で、センス上で恐らくは考え続けて、いや、求め続けている。
で、意識に上って来るとやはり考えるための言葉(まずは自分に対しての)が必要になってくるから、今度は本当に考え始める。

と、まぁ。
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窓辺に座ってる。たまたま庭に視線が行っている。
「 、、、。」そこから「あぁ、今日は気持ち良いな」とつい身の裡で言葉が産まれてしまう。
すると「強い日射しに乾いた風が、、」とか先に繋がってきてどんどんそうしてゆくうちに上のようなことになってゆく。
でも最初の言葉が生まれなければ、それはそれで気持ちの良さだけの感じで過ぎてゆく。
ところで、世界が止まるとこの「それはそれで過ぎてゆく気持ち良さの感じ」というのがぴたりと止まる、過ぎてゆかずにぴたりと静止する感じ。ありありと触れる感触がある。
言葉に関して言えば、それは消滅するわけではないのだけれど、其処ではその生まれも育ちも異なる。
言葉が生まれそうになっても、自然とそれは優しくあやされて、決して発する、放たれることはないような曖昧な柔らかい状態。

とまれ、自問に対する答は「裡なる世界が止まること、それがより良いからだ」なんだけれど、そこに至る理由がうまく言えないし、だから検証も出来ない。感じだけがある。自分の知っている、感じた、僅かに体験したことがあるかも知れない、という範囲内でしかない、の「感じ」
個や我で構成されている裡なる世界は消滅するのでは決してなく、でもぴたりと止まる「感じ」
そういうことが始まると、たくさんの「個」で起こり出すと、世界中でシンクロニシティすると、、おのずと世界は変わってくる、という「感じ」

と、まぁ、、へへへ。
    
しょうがないフィーリング野郎。けれど70年代という「フィーリングの時代」にナニモノかをばっちり叩き込まれてるしなぁ、、
とにかくまず、その「感じ」の正体を知りたい、というのがあって、言葉を積み重ねてゆくことで考えの遥かなる崖をよじ登ってゆこうとしてしまう。

その「感じ」に至るまでは今まで慣れ親しんだ地平というものがあって、そこからさらに開けている地平があると思うんだよ。
片足で、僅かに半歩に過ぎぬにせよ、一度ならずその地平を踏んだことがあるような気がしている。
知りたい、それが果たして本当だったのか、否、幻想であったのか?
知りたい、もし本物であったなら、何故そこに留まることがいつも出来なかったのか?
知りたい、ぼくはそこにいくつもの忘れ物をしてきていると思うのだけれど、それもこれも幻想だとしたらそれらは一体どうなってしまうのだろう、、

はっきりとしない曖昧な喪失感。

「、、それこそがひとが生きてゆくという悲しみに似たような感情なのだよ」などと、昔純文学な帰結に溺れることは苦くてほのかに甘き、意外と心地よい大人の味なのかも知れぬ、と思うような年齢ではある。
しかし今純文学的に「ループっすねぇ、、それやっぱり」の方がまだいいか、、
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時に逆巻き、時に凪の、生活の、暮らしの、宇宙渦のなかにひとは、ぼくは立っているわけで、その渦に見えつ隠れつしている使い古された小さな兆し、捨てられた予感やら、無意識にせよ一度自分で捨てたものたちさえも、せっせとまた拾い集めるゴミ拾いみたなことを自分はしているのかも知れない。
これからもまだ。
そのことで自分の考える「未来」のふちに漸くしがみついているのだと思う。

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ときどきトランス日記6:クアラ.ルンプールでの五日間。

KL-01この国に住むための手続きを半年にいっぺん国外でせねばならなくて色んなところへ行ったけれど、いまのところエア.チケットがダントツに安いのでどうしてもマレィになってしまうね。
半年振りのマレィ。
日にちや予定が少し半端なので、またマラッカにも行きたかったけれど、今回は首都クアラ.ルンプール(以降K.L)だけを味わい尽くそうかなと思って。
息子がもう少し大きくなって、またマレィに来ることがあったならば、遥か昔行った本物のジャングルを見せたいと思うけれど。
プッシュ.ボートで茶色い河を延々と遡るジャングル.クルーズの、遊園地ではない本当の本物の。

とまれ、
Kualaは河、Lumpurは泥。
泥の河が流れている街、本当に真茶色の流れだ。

小栗康平というひとの「泥の河」という切ない映画があったね。
白黒の映像の記憶なのに、茶色い流れでそれを思い出す。

マレィの河川は自分の知る限りでは、何処もこんな色だった。


* 2005年2月20日(日): Denpasar 〜 K.L
AirAsiaにてKLIA(クアラ.ルンプール国際空港)着、17:30くらい。

AirAsiaっていうのは去年くらいからBaliに乗り入れてきたマレーシアの航空会社。
予約はインターネット上で、早ければ早い程安い。
時間を追うごとにモニター上でじりっじりっと値段があがってゆくので、予約フォームを打つ手が緊張のためにうまく機能しないというスリリングなシステム。
でもまぁ、とにかく安い、価格破壊。
こんなんでホントに燃料とか買えんのか?コックピットに超能力者が乗ってて変な念力とかで飛ばしてないか?
しかしそういう心配を余所に、新幹線の車内販売ワゴンみたいなのがが来るのは、余計なサーヴィスは一切ないからで、水一杯、飴玉一個も、徹底的にない。

なのでとても空腹。
しかし今回のホテルはチャイナタウンのど真ん中に建っている、つまりは足許に安くて旨いものが溢れてるところ。
だから我慢してAirportTaxiで市内へ。
KL-02
Swiss-InnHotel、此処は以前から気になっていたところでちゃんと予約してある。
チャイナタウンいちの目抜き通りであるペタリン通りと、それに平行するこっちもなかなかの賑わいのスルタン通りにまたがって建っていて、どちらの通りにも出入り口がある。
つまり夜はどちらから出てもすぐに食べ物、モノ、ひと、屋台で溢れ返っている。
前回泊まった古い大型客船みたいなホテル、時の止まったホテル、息子はまたあそこに泊まりたかったらしいのだけれど、この立地形態にはすぐに目を輝かせた。
ぼくもすぐにアタリだなここは、と思ったし。
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晩御飯はスルタン通り側に出てすぐの屋台で叉焼のせライス(御飯は鳥のスープで炊きあげてあって、それだけでもすごく美味しい)と雲呑麺を食べた。
雲呑麺にも叉焼がちゃんとのっていて嬉しくなる。
叉焼は甘辛でスパイシーで表面がカリッとしてて、そういうタレの焦げてるとこなんかががまた旨くて。
息子はこの雲呑麺のドライ(雲呑スープは別についてきて、麺にかなり濃いめの味をからませてあって一見焼そば風。麺ものはスープかドライを選べる)がいたく気に入ったようで、以降こればっかり食べてた。

明日は早起きして領事館。


*2002年2月21日(月): K.L

ホテルのビュッフェ朝食って嬉しい。
安宿ばかり泊まり歩いていた昔考えると、ちょっと考えられないような朝食。
付いていたとしても、紅茶にトースト、ゆで卵くらい。それでも一食分浮くから嬉しいし、付いてなければ安くて美味しい朝御飯を探す楽しみ、、どれがいいという話でもなくて。
けれどここでもそうだしBangkok,Singapole辺りでも、インターネット.レートとか現地の代理店のルーム.レートを使うと、1000円程の違いでこういう朝食やら部屋の快適度やらがぐんと違って来るラインっていうのがあるんだよ。
そういうぎりぎりの、こっち側のラインすれすれの安いところを探すのが上手くなった。
エアコンにテレビに冷蔵庫、エアコンとテレビは家にはないものだし、こういうある種の快適さ、期間限定の非日常は子供は喜ぶしおとなも気持ちいい。

こじんまりしたビュッフェだけれど、ちゃんと西洋風、中華風(お粥)マレィ風と揃っていて、マレィ風がかなり本格的、毎朝こういうの食べられるならマレィ料理は特に外で食べなくてもいいかなと思う。
ココナツ.ミルクのまろやかベースだけれど、ばっちりスパイシーなチキン料理、レンダンという独特の辛い煮込みソースやら、、
朝からこんなものを、と思ったけれど、内臓が身体が目覚める感じの爽快感だった。
これから始まる都市部の暑さに、さあ対抗するぞってな意欲が開く感じ。

インドネシア大使館はK.LいちのアップタウンであるBukitBintangを通り越したはずれの辺りにある。
頑張れば歩ける距離、1時間くらいのものだけど、なるべく早く着きたかったのでTaxi。
Visaの受理は木曜日。
歩いてBukitBintangへ戻り、早くも息子にとっての今回の旅のハイライト、TimesSquareビルへ。
渋いブラウンの大きくて地味な建物だけれど、中に入って驚いた、話には聞いていたけれど。
中は10フロアが吹き抜けで上の5フロア分が巨大な屋内遊園地になっている。
オレンジ色のジェット.コースターの線路がその空間じゅうに縦横無尽にくねくねと這っていて、捩じれていたり宙返りしていたりで、見ているだけでひやりとする。
ビルの5階分の高さというのは屋内で見るとかなりあるね、足が竦む。
あちこちにそういうひやり系の馬鹿でかいアトラクションが見える。
身長制限にまだまだ及ばない息子の乗れるものはひとつもなくて、実はそれにほっとしつつ1フロア下のもっと小さい子用のファンタジー.ランドみたいなところへ。
色味が上と比べると柔らかくて曲線が多い感じ、乗り物もそう。
ときどき頭上を件のジェット.コースターが捩れながら飛んでゆく。

お昼はマクドナルド、その後3-Dの恐竜映画( T-Rex )と、いちにちお子様コース。
しかしこういうビルのなかに一日いると疲れる、とても。
密閉されて出口のない広さのなかで産まれ続ける音や振動やらが、自分の身体をも通過する、感覚器官を通過して消費されてゆく、そういう疲れ方。
KL-04
夕方、蕩けそうな暑さと陽の色のなか、徒歩でホテルまで。
晩御飯はペタリン通りの集合屋台の一角でポーク.リブのせ御飯。
リブや叉焼、チキンやダックなんかも、どこの屋台もおおきな塊がいくつも旨そうにぶらさげてある。
色も匂いも刺激的だ。
こういうのをざくりと削いで、叩くように小さく切り分けて麺や御飯のうえにのせてくれる。
これに赤唐辛子のソースや青唐辛子の酢漬けが付いてきて、これがまたどうしても必要な旨さ。

シャワー後、家人は読書、息子はお絵書きしたりテレビを観たりでごろごろ。
エアコンというのはやはりこういう場合快適だ。
ぼくはKLIAで出しなに買ったウイスキーを飲みながら、浅岡鉄彦というひとの「白い象の街」という本を読みはじめる。
ひと月程前に貰ったものなのだけれど、まえがきを読んで、これはいちばんぴったりの時にと思い、読まずに大事にとっておいた本でね。
不思議な感触の短いお話が九つ。
これはきっと旅行記なのかも知れない。
そしてそれは実際の旅のもう少しだけ先にある旅のようなので、自分もその移動に備えてニュートラルな状態にいたい。
だからこれから、毎晩ウイスキーを舐めながらゆっくり味わおうか。

タイミングの問題で、ものは良くなったり悪くなったりする、まぁまぁにも普通にもなる。
自分のものになったり、ならなかったりもする。

ぼくは毎晩寝る前に息子に本を読んであげる、この本をもう一度開くのはそのときかなともう思っている。

息子が自分で持参した松谷みよこの「オバケちゃん」を寝しなに読んであげて、みんな眠ってしまったあと、あともう少し読書とウイスキー、、


*2005年2月22日(火):K.L

マレィはVCDが安い。
VCDは日本ではもう絶滅しているけれど、まぁ画質の悪いDVDってとこで、東南アジアではまだまだ主流。
で、マレィには日本のドラマやら映画やらアニメの海賊版VCDがたくさん売っていて安いのだ、すごく。
吹き替えなしの日本語版でマレィやらカントニーズ字幕のものが結構ある。
、、ということを前回知って吹聴してしまったので、Bali在住日本人の友人知人たちにたくさん頼まれてしまった、家人が。
みんなそういうのには餓えているらしく、これからはVisaなどで渡マレィ組も増えるだろうから、そういうやりとりが流行りそうだな。
なので今日はVCDやら普段Baliでは買えないものとかの買い出しDay。
大型ディスカウント.ストアーなんかは、久し振りの楽しさ、とは言えぼくはそれほど欲しい物があるわけでもなく、ただ安いモノが際限なくある感じがね。

お昼はホーカース(色んな種類の固定屋台がひとつのスペースに収まっている)で雲呑麺、ぼくはスープで息子はドライ。
食べながら入り口付近の中華屋台を観察していたら、インド系のひとが注文していて、おや、と思った。
これは自分としてはそんなに馴染みのない光景で、そのうち炒飯が運ばれて行った。
で、その後またインド系が炒飯、更にもうひとりインド系が炒飯、、
とても気になってしまった、インド人と炒飯、その人気の味の秘密。

友人に聞いてあった楽器店が小さいながらかなり良くて、FenderよりもGibsonがたくさんあって、それもSGモデルばかりが置いてある。
薄暗いガラス.ケースの向こう側、アイヴォリー色のSGがあったりで、ちょっと不思議な眺め。
ぼくはこのところアコギの方がすきなのでそっちを見ていたけれど、これもやっぱりGibsonが多くて、でもハミングバードとかああいう派手なのじゃなくてシンプルなやつ。
ぼくはあまりそういうことに詳しい方ではないのだけれど、その道のひとにはもしかしたら垂涎モノが意外な値段であるのかも知れないなと思った。
ギタリストの友人がBangkokでナントカというやはりそういうの見つけて、これは一生モンのギターと思って急いで買ったそうで、彼曰く、ジャカジャカ系の名器。
成る程、コード.ストロークの時の6本の弦の音の分離感が凄い良かった、音が大きかった。
良いアコースティック楽器の条件のひとつ、、大きな音が出ることなり。

ところで、ひょいと見たらマンドリンがある。
まさかと思っておやじさんに聞いてみたら弦があった!
ちょっと古そうだったけれど、安いしこれはかなり嬉しかった。
日本だと高いような気がしてなかなかひとに頼めなかったからね、、で、2セット購入して御機嫌。
息子は戦隊ヒーローもののVCDを3枚も買ってもらって御機嫌、うちはパソコンでこういうの観るんだよ。
家人は所謂セカチューというものを購入。
前回買った「ウォーター.ボーイズ」で知った森山未来という俳優に興味があるので少し楽しみ。

たくさん買ったVCDや荷物を抱えてホテルに帰る。
KL-05
夜のチャイナタウンはどきどきする。
何を食べようか、、何を買おうかとどきどきする。

今晩もウイスキーと読書、、かなり幸せなひととき。


*2005年2月23日(水):KL.

今日は独りぼっちでこころゆくまで歩き回る日。
一回の旅で一日はこういう日を作る。
自分っていう他人と旅のいちにちを過ごす、と云うか自分という他人と自分という本人の分離がこういう時はしやすいから。
それは旅の本質かも知れないと思う。
けれど、そういうのが旅の上での日常になってしまうと、それはそれでヘンなところに入り込んじゃう危険もあり、若いうちはそれでもいいのだと思うけれど、この歳になってからそれはちょっと困るので、うまいバランスで「そこ」との行き来が出来ればそれでいいかな。

まぁこれは形而上、下の旅ともどもだし、複合なんてのも当然あるし、でもそれ書きはじめると終わらなくなるから。

KL.っていうのはオールドタウンと呼ばれるエリアがやっぱりぼくには魅力的。
古い風景の向こうにアップタウンの高層ビルがぐいと突き出して、青空のバック、がらんどうの悲しみに似たような景色の感情がぼくの眼球の表面で、からからに乾いた大気に晒されてゆく。
KL-06
ところで、マレィでいちばんすきなのはマラッカという街で、ここはそのほとんどがオールドタウンと言ってもいい街。
今回そこをはずしてもいいなと思ったのは、KL.のそういう景色や感情ばかりを欲していたからなんだな、と思った。
マラッカはマラッカで、また全然違うものだから。

廃虚と、廃虚へと向かうあともう少しの建物群が歩く目の中で流れてゆく。
チャイナタウンからインド人街、それがアラブ人街にいつの間にか変わっているオールドタウン。
街の色も段々変わってゆく。
チャイナタウンの赤とインド人街の赤は違う赤。
色の組み合わせ方も違う。
音も違う、聴こえてくる言葉も違う。
アラブ人街に近づくほどに、あちこちの店、それはほとんどが生地屋やムスリム.ウェアのお店で、割れた音でカキ.リマと呼ばれる歩道に向けてアラビック.ポップスをがんがん流している。
そのエリアの外れに突然現われるのが、以前から行ってみたいと思っていたチョウキット.マーケット。
養生シートで簡単な屋根をつけただけの簡易店鋪がぎっしり並んでいる。
インドネシアでパサールと呼ばれる市場の感じに近い、ただしここはかなり広くて全体像が掴めなかった。
食料品と生活雑貨ばかりだったけれど、恐らく全部は見ていない、ここの感じはもう知っているような気がしたから。

帰りはだいすきなインド人街でわざと迷子。
再開発が更に進みそうになってる匂い、半年前にも感じたその匂い、もっと濃くなっている。
取り壊し中、基礎工事、建設中、ブルーシート、コーン、建設や壊すための機械、、
インド服やら生地のちいさな店鋪が並ぶいちばんいい辺りもちょっと危ない感じ。
店の外や道にまではみだしてるスーパーマーケットのごちゃごちゃや渾沌ぶりは相変わらず、不愛想な店員もね。
でも、そういうものたちも何時かは周りに出来つつある、大型の綺麗なスーパーやデパートになかに違う貌や匂いになって、入って行ってしまうのだろうか。

なんだか夢中で歩き回っていたら、でもお昼御飯を食べるのを忘れていた。
喉は乾くのでセブンイレブンで水を買った。
暑い、とにかく暑いのだけれど、あまり汗をかかない。
からからに乾燥している暑さなんだよ、だから身体が軽くなるような感じがしてなにか気持ちが良い。
気持ちも感情も熱に晒されて蒸発してゆくよ。

回教のしっかり根付く場所はこういう処なんだな、、と、ふと思う。
乾いた暑い大気、中近東へは行ったことはないけれど、ここでも感じるものがある。
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くらくらするくらいの暑さは夕方にやってくる、それまではなんとなく良い気持ちで歩いていた。
夕方の暑さは物凄い。
目の前が霞むほどの西日、と表したい。
そのまま倒れて眠ってしまいたくなるほどの。
あぁ、これは夜へと向かう熱帯の暑さなんだなと思う。
肌と空気の関係が深くなる、昼間はちょっと互いにはじくような感じが、大気に水分が僅かに戻って来ているから入り込んで来るしぼくも自ら受け入れている。
熱帯の大都市の夜がはじまる。

ホテルに戻って水を浴びて、部屋は5階なのだけれど、窓から下に見えるペタリン通りが夜の準備を始めるのを眺める。
いったい昼間は何処にしまってあるのか、あっというまに簡易店鋪が手際よく組み立てられて、細い通路を残してすぐにぎっしりと道は埋まってしまう。
これが12時くらいにはまた何処かへ撤去されてゆく、毎晩がそのくり返しなのだ。

晩御飯は近くの屋台で肉骨茶(バクテー)、豚のスペアリブの煮込みスープで薬膳でもある。
これは旧正月のSingapoleの肉骨茶専門店で食べたのが最高で、そういう店をマレィでも探したいと思っている、それほど美味しいのだ。
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就寝前にウイスキーと本、、これは自宅ではなく、こういう旅先のホテルに味がある。
真下のチャイナタウンから昇って来る賑わいや振動が幽かに感じられる。
ときどき窓越しに真下の通りを見て、賑わいがゆっくりと退いてゆくのを見る。
いちにちホテルの部屋で遊んだり、買い物に出て立派なお絵描きセットを買って貰って、さっきまで夢中で何か描いていた息子も家人ももう眠っている。
下の通りももうひっそり閑としているみたい、おやすみなさい。

*2005年2月24日(木):KL.

Visaの受理は3時なので、アップタウンまでモノレールで行って、その後ぶらぶら大使館方面まで歩こう。
このところ朝食をお腹一杯食べるので、お昼はあんまりお腹が空かない。
お菓子が欲しい息子のためにセブンイレブンに入ったら、店内に椅子やテーブルが並んでいて、結局そこでカップ麺だの菓子パンだので済ませてしまった。
実は息子の食べてたMammyExpressというカップ麺がなかなか旨く、、昔の、初期のカップ麺の味わい。
専用のスチロールカップがあるのに気付かず、ジュース用の大きなカップに珈琲マシンから並々と注いでいたら、家人は家人で小さいスチロールカップに氷を入れてコーラを注いだものだからちょっとしか入らず。
レジで妙な顔をされたのはそういう訳。
これでカップ麺の作り方が変だったりとか、そのままお湯をかけずに食べちゃったストレンジャーはどうかな。
KL-09
夜はスルタン通りの屋台のスチームボート屋で。
歩道に鍋付きのテーブルを一杯に並べて、賑わいはじめたチャイナタウンとよく冷えたローカル.ビールのTiger。
肉、野菜、魚介類、練り物などの串をささっと煮立ったお湯に潜らせて、そのあちあちを辛いタレにつけて食べる。
お会計はどうするのかと思っていたら、食べた串の数で勘定していた。
スチームボートは他と比べて設備設営も大変そうなのに、屋台クラスでよく頑張っているなと思う、道具も長いこと使い込まれているみたい。

明日はもう帰る日。
夕方の便なので気持ちが楽、1リッターのTeachersもふたりで飲んでいたから今晩綺麗に飲み干して、「白い象の街」も読了。
毎晩息子に読んであげていた「オバケちゃん」ももうおしまい。

家族はもうとっくに眠りについて、、
猫のニハチも白い象もおばけウイスキーも、歩き廻った街も、「かいじゅうじゃありません、ぼく、オバケちゃんです、ねこによろしく」もなにもかも、、うわんふわんと混ざって溶けてぼくも眠りのなかへ。


*2005年2月25日(金):KL.〜Denpasar

朝食をお腹一杯食べて、果物も食べて珈琲もゆっくり飲んで。
あぁ、あのインド系に人気の炒飯食べ損ねたな、なんて思って部屋に戻ってゆっくりシャワー。
そして12時のチェック.アウトでもまだ時間が余る。

時間にゆとりがあって嬉しい、こういうのは本当に久し振りだ。
前回は朝の5時過ぎにホテルを出たんだったし、いつもそんな感じだったからね。
昨日使って知り合ったインドネシア人の気の良いTaxiが約束通り迎えに来てくれている。

反対の湿った重たい暑さの中へ帰る。
飛行機でたったの3時間なのにね。

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ときどきトランス日記:5、濡れた非日常。

Tra5-1ぽつっ、ぽつり、ではなく、ぼたっぼたりっ、と落ちてきた。
乾いたテラコッタ.タイルのプールサイドが見る間に丸い染みで埋め尽くされてゆく。
そういうひと粒ひと粒の繋がった無数の水のラインが地面に家に樹木に、射すように降ってくる。
粟立つプールの水面は空と本当に水で繋がっている。

そういう日もあった。

深い軒先に隠れた窓辺にいつも座ってる、そしてみるみる池のようになってゆく自宅の庭を眺めていたり、漂い流れ出したしまい忘れたゴム草履、帰りそびれた猫。
窓側に置いたCD-Rライターに雨の霧の飛沫が届きそう、気にはなるのだけれど、でもぐずぐず窓を閉じずにまだ庭を眺めてる。
霧は上から降りて来る、飛沫は下からの撥ね、そんなのが混じりあったような濡れたもやもやの大気が這入ってくる。

そういう日もあった。
雨、雨、雨のことばかり書いている、もうずっと。
Tra5-2
ぽつぽつ、さぁーっ、は地面の匂いが鼻先まで立ち上がる。
でもこれは夏の、夏休みの匂いかな、、そういう背丈がちょうど夏休み。
自分は決して長身ではないけれど、もうとっくに夏休みの背丈ではないのかも知れない。
だからぽつり、ぽつぽつと来たならば、きっとその頃の背丈まで屈んでみようと思う。

雨、雨、雨と水のことばかり。

お風呂やシャワーとか水泳とか、でもひとは水性動物ではないので、やはり身体が濡れる感覚というのは程度の差こそあれ非日常なことではないかと思う。
非能動的に、やむなく濡れてしまった場合は着衣だろうから、それは更に増すし。
水に濡れることについての、もやもやの無意識や皮膚の上で感じる非日常、粘膜と世界の接点で感じる非日常。
そういうの書いてみて、意識下で言葉に置き換えてみるとほんの幽かに朧げに答えに近づいたような気になる。
いや、まぁ書いているわけではないね、これはただのスタンプだから。
そう。
ぼくは自分の字がすきではなく、だから見ると嫌になってしまうので「書く」ことはあんまりしてこなかった。
そして子供の頃、スタンプがそういえばすきだった。
きちっとしたかたちのものをぺたぺたと整列させるのが嬉しかった。
そういうものをコントロール出来る喜びってあった。
なのでいまこうしているのか、と思う。

これだけ雨や水と、言葉を通じて親密に過ごした雨季は初めてだな、そして昨日も今日も雷雨、だからそれももうすぐお終いで、ゆく雨季を惜しんでいるのかも知れないな、いや、乾季を待ち焦がれる気持ちは一緒なんだけれどね。

ところで水に濡れると、ふぃと時を越えてしまうことがあるでしょ?
匂いや音や、およそ感覚っていうもの全てはそういうシーンに繋がることがあるけれど、濡れるっていうのもある、すごく。
これ、BBSにもちょっと書いたけれど、水に濡れた記憶というのはそれだけできっと繋がっているからなんだと思う。
気持ちの良い記憶もあれば、寒かったり心細かったりの記憶もある。
気分もともに残っている。
けれどその気持ち良さや危機感はすでに遥か昔に過ぎ去ったこと、だからその気分は切なさや郷愁に姿を変えて。沁みるように帰ってきて、そして刹那間だけ我が裡に留まり、すぐに行ってしまう。

お風呂のなかで気持ちよく伸びきっているときなんかも、無意識はきっとなにかを思い出してるとは思うのだけれど、予期せず濡れてしまった場合の方が感覚と意識が繋がりやすい。

かつての、いちばん初めの日常は水の中だった。
水を通して世界と関係することもしていたかも知れない。
胎内で、母の裡で。
そして非日常の世界にびしょびしょのぼくはすべり出た、体内に残っていた水の日常も逆さにされて絞り出されて、途端に日常/非日常はひっくり返り、、そしてぼくは大声で泣いた。

そういうことになにか関係があるのだろうか。

時を越えて蘇る、再びやって来る感覚、それに強く左右されてしまう感情とか、そういうものの正体はまだ誰も知らないし、きっとまだまだ暫くは解明されないだろうけれど、ぼくはこの先もずうっとこだわっていくのだろうな、と思う。
それはもしかしたら重要なことでもなんでもない、とるに足らぬことだったとしてもね。
うん、いいよ、もうそれでも。
ぼくはそれに寄り添い寄りかかり生きてきたし、この先もきっとそうだろうと思う。

自分は音楽家だけれど、その音楽とそういうことがどう関わりあっているのかは、でも全然わからない。
ただ自分の音があるだけなのだし、そういう地平があるだけなので、そこに立っている。

未来を見つめて生きたことなんかない。
過去を憶って、いまを生きてきただけの、生きているだけの。
、、なんてね、そういう「気分」で独りの時間を過ごすことがすきなだけ。
Tra5-3
ひとはいろんなもの抱えて生きている、いや、だからこそ生きている、いや、生きているからこそ抱えている、、
生きることはときに寂しく侘びしく、、けれど生き物としてはそれは大変なエゴ。
そうかも知れないね。
表現なんて。
ひとなんて。

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ときどきトランス日記:4。

2005年1月22日(土)/ Ubud村、自宅。

今日は昨日の続きで、昨日は一昨日の、、
だれもがそう思って生きてる、明日もきっと。

突然それが断ち切れて非日常のなかで立ちつくす。
誰もがやってくるだろうと思っていた日常がやって来なかった。

ぼくにも経験があるし、大なれ小なれ誰しもがあるのかな、それは。

今度の未曾有の天災にせよなんにせよ、つい、ひと的な理由を求めたくなってしまうけれど、それには自分が、いや、ひとというものがなんで生きているのかの理由や答えがなくてはならないから、駄目だ。
どんなことでもなにか最後はそこに行き着いてしまう。
やはりひとは生きるためにしか生きていない、だからナニモノかに理由を転化することは結局は無理なんだな、そういうことでしかないんだなと、ちょっぴり寂しい気持ちになったり。

毎日のように雨が降っている、このところは雨期の真只中。
そしてでもこっちは、相変わらずのそういうびしょびしよした日常のなかで、ひとつ歳を重ねたりも。

スマトラ島。
被災地はここだけではないけれど、、
でもそこは自分の住んでいる国の一部でもあり、では自分はそこにどのくらいの気持ちを持っていたのだろうかと考えた。

海、巨大なJava島を、さらに海を隔てた遥か遠くのもっと巨大な島、小さなBaliにとっては外国に等しいような処だ、訪れる機会はなかった、、でもそういうことではない。

タイやマレィ半島に渡る折に上空から眺めるだけの、とてつもなくおおきい黒に近いような深い緑色の島。
蓋を開けたら珍しくて素晴らしい音楽の恐くは宝庫だろう島、とか、インドに確実にルーツを持つであろうパダン料理とか。
DuoTonesのAmiやLaniはスマトラ人だとか。
他にも何人かの知人やらがいる。
実は本質的にはよくわかっていなかったアチェの問題、とか。
でも、こういうことでもない。

つまりはどういうことでもない。

天災であっという間にもの凄い数の人間が死んでしまうこと。
それぞれ「個」であるものがあまりにもたくさん、、
それはあまりにも理由がなくて嫌になる、そのことはあまりにも意味が無くて悲惨だ。
どういうことでもないそういうことが、でもまだ続いている。

このように考える人間が「SaveAceh」をやったり、その直後に友人の結婚式を企画したり、というのは不思議なことだなと、自分でも思うのだ。
どちらも自分が行うべきメインのことは音楽であったからかな、、とも思うのだけれど、やはりそこに理由やらを求めずに突っ走った。
自分にしては珍しいことではあったけれど、でも行動の、ものごとの、そういうものはあとからついてくるものかな、と思って。

でもこのところの、そうだな去年の12月くらいからのことやら全部は、そういうあとからついてくるものも振り切って走ってきた感じがしてる、欲しくはなかったしね、そういうもの。

どちらもどうしてもやりたかった、というだけのことか。
やはりどういうことでもない、に繋がってくるのだろうか。

本当はもう少しだけこの身体、もって欲しかった。
けれど、やはりもうそんなに若くはないのだ、この身体は。
「SaveAceh」直前の二日前、溜まっているのは感じていたけれど、無視しよう、忘れようとしてたものたちが昔から抱えている身体のウィークポイントに一気に押し寄せてきた。
いや、まいったね、ちょっと歩行もつらいくらいになってしまった。
いまもまだそういう状態が実は続いている。

それでもね「SaveAceh」は以前報告した通りだし、終わったいまも、あのコンサートに行けなかったけれど、、と寄付金を託されたりとか、日本出立前に地元の商店街で寄付を募り、それとともに参加してくれたひともいたんだよ、なんてこと思ってさ。
なんと言うか、、お金もないしさ、身体も草臥れてきてはいるけどさ、どうしてもやりたいことはまだなんとかやってしまえるのだなと思ったりね。

そして結婚式。
wed-02
大災害の直後である、、
しかし彼らの歴史とか彼らとぼくたちの歴史も勿論あるからね、お祝いはお祝いでやりたい、、
そういうことを同時に考えて、ちっぽけな葛藤を抱え込む「個」は駄目だな、と自分でも思ったし、どちらもやるのだ、という気運がみんなのなかで高まって、全員でぐいと押し出すようにやってしまった。

とまぁ、色々なこと、纏まらぬこと、いまになってまだなにか言ってるのか思ったら、結局はちょっとうろがキてしまったのかな、と。
このところ、予定の先にはまた予定があって、その先にもまた、、が連続しててあたまも身体もぐるぐるしてた。
予想はしてたことだけれど、いまはなんにもなくなってしまって、ホントに樹のうろみたいな気持ち。
念のためにいま辞書を引いてみたら「うろ」の漢字は空、虚、洞、どれでも良いそうで、しかしどれもぴったりではあるね。
これ書いて、Upすることで、ようやくの凪ぎ、としたかっただけかも、、実際のとこはわからないけれどね。

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ときどきトランス日記:3。

2005年元旦 / Ubud村自宅。

大変な天災が起こったしね、まだ現地はその真只中。
だから本当はこういう新年のご挨拶、控えるべきなのかも知れない、と考えた。
けれど、こういう言の葉たちには、何語であろうとも「願い」の籠るもの、とも思う。

なのでそういう気持ちで、、
N-Blo

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ときどきトランス日記:2。

2004年12月16日(木)/Ubud村、自宅。

これはもう「ときどき」とは言わないね、前回書いたのが8/27だった、、
実は10/12に1度書いているのだけれど、これでぴんとくるひともいるだろうね、、10/12。
つまり、2年前のその日に起こったKutaのあのテロ事件からの2年間を書いたわけ。
でもね、あまりにもこの胸と言わず、もう全身の感覚器感に去来するものが多すぎてうまく纏まらなかったので掲載しなかった。
2年間、、もちろんその2年間で時が凍結しているわけではなくて、今日もその続きを生きている。

それまでのこっちの生活も、山あり谷ありの決して平坦なものではなかったけれど、やっぱりあの10/12以前と以降ではおおきく何かが変ってしまった。
この島、この生活が変ってしまった、ということではなくて、世界がおおきく変った、ということをようやくおのが皮膚感覚で知った、ということか、、いや、まだまだ引き続き知り続けている。
それにつれて、それに沿って、かどうかはわからないけれど、そこからの自分やら状況やら身の周りの変遷やら、、
で、まぁそういう止まってはいないけれどの2年間、勿論纏めようと思えば出来たかも知れないけれど、多分ホンの表層にしか過ぎず、になっちゃうだろうなと思って。
嘘、とは言わないけれど、口当たりの良い言葉、角の取れた言葉、隠してる気持ち、日記にふさわしくない、公文的な、とかまぁいろいろ。
つまりはまだ全然正直に書けるとこまで来ていなかった、ということだった。

でもね、きっといつかは書きたいなと思ってる。
完全に熟れて樹から落ちるのを待つのだな、と思ってる。

さて、日記だ。
日記、の意味考えるとそりゃ変だけれど、ともかくも、、

3回目か4回目の激しい落雷の音で目が醒めた。
7時半くらい。
早朝のこんなのは今雨季初めてのことだ。
どういう向きで寝ていたのかは判然としないけれど、左方面からごろごろっときて、どどーんと右方面になにか巨大な自然物が転がっていくような感覚を夢うつつに何度か感じていた。
で、最後のでっかいので完全に目が醒めた、空気の波動のなかで2階の寝室がびりびりと揺れた。

あぁ、そうだ、、今日は息子の幼稚園の遠足、可哀想に、と思った。
最近出来た「Bali Zoo Park」楽しみにしてたのに、どうなるのかな、、。
一応幼稚園で待機だったらしいけれど、それっきり雷も雨も段々に遠のいて、陽が射して来てる。
だからバスはきっともう動物園に向かってるだろうな。

ここんところ、せっかく復活したDuoTonesは凄く良かったライブ1回きりで空中分解してしまうし、PlanetBambooもひとの出入りが激しくて全然安定してなかったりと、気が塞ぐことばっかりでね。
Passionで演奏するっていうことだけが、唯一こころの慰めだったと云うか。
で「自分」を世界の中心に据えて考えると、そこに集まりだして音に繋がって行くようなものたちが、急速にみんな離れてしまった感じでね。
これはでも単なる「感じ」で実際にはそうではないかも知れないし、それぞれの色んな不可避の事情だってあるだろうし、と思わなければいけない、とは思うのだけれど。
でも「感じ」の問題なので無理に捩じ曲げても仕方ないしな。

それではでもイケナイという気持ちもあって、一昨日のPBのライブ、そういう状態だったので不安も抱えつつ、でも自分で企画して(いつものようにたくさんのひとの協力で)まぁ、大成功と言って良いだろうという晩になった。
ともかくもこれをやっておかなければ、どうしても次に繋がってゆかないという危機感が強かったのでね。

尊敬していて、パワーやエネルギーを貰える、自分にとってそういう存在のミュージシャン、SuarAgungの、いやBali音楽にとってのおおきなおおきな存在と言うべきか、のスウェントラさんが参加してくれたこと、そういう運の良さも手伝って、は勿論のことで。
210日でひと廻りのバリ暦なれど、西暦が染みついている身にとってのこの時期のこの状況、、でも消えかかっていた来年の光がまた少し見えて来た。

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ときどきトランス日記:8/20〜8/27(マレィ編)

さて、この期間は家族3人+友人ひとりのマレーシア(以降だいすきな金子光晴風にマレィと記します)へのショート.トリップ。
どんな旅だったのか、、いつもは旅の記憶、熟れはじめるのにはもう少し時間がかかるのだが、今回は早いな、、

15年前に独りで訪れ、初めての国でときに途方に暮れながら、おずおずと歩き始めた街や道。
そう言えばその頃、盛んに言われていた言葉「自分探しの旅」とか「自分を探して旅しています」みたいなやつ、、けれどまったくさ、そんな場合じゃなかった。
浮き足立ってて、自分を見失って、不安だったりで、どんどん色んなものが我が身から失くなっていった、剥げていった、落ちていった。
まったく探すどころじゃない、だってあれよあれよという間に丸裸で路上や安宿のベッドに縮こまってる「自分」を見つけたんだから。
うん、ただそれだけのことだったんだよね。
そこからはじまったこと、ものもたくさんある、いまそう思う。

10年前には家人に見せたくてふたり訪れた。
そして今回は5歳の息子も一緒に。

「記憶」もちろん時間の経過によっての変質もあるだろう、けれど10年、15年、特に初めて訪れた時に得た、色んな気分、upもdownもだね、の思い込みも重々含めた「記憶」の修正を余儀無くされることも多い旅だった。
ちょっとね、頭の中が僅かに軋むような感覚ののち、記憶が修正される瞬間。
若しくは記憶が記憶としてしかもう存在しようのない、現存物はすでに失われていた場合もね、やっぱり少しだけ頭の中が軋んでしまう。

さて、では日記をはじめます。
気に入った写真数点を「Ubud百景(マレィ特別編)」としてありますので、どうぞあわせてご覧下さいね。  

2004年8月20日(金):KL

AirAsiaにてKuala Lumpur(以降KL)到着。
ぼくのVisaは1年に1度、国外で取得し直さなければならないタイプ、けれど息子のは6ヶ月、なのでそのためのvisaトリップでもあり、偶然Visa切れの時期の重なった友人も同行。
いつもはBangkokでそうするんだけれど、今回は久し振りに「旅」の気分が味わいたくて。
KLIA(KL空港)は驚く程近代的な建物に変貌していた。
そういえば、おおきな建築物の近代化は美術館からか?と思うほど、ここも美術館みたいな巨大なガラス張りのドームの繋ぎあわせ。
つまりは、近代的に洒落た建造物でつい「美術館みたい、、」とつい言ってしまうアレ。

これも昔はなかったCityLinkという高速の電車で市内KL中央駅まで一直線。
そして楽しみだったひとつ、KL中央駅構内の「HeritageStationHotel」へダイレクト、の筈だったのだけれど、なんだか見た事もないような近代的な駅に着いてしまった。
いまはこちらをKL中央駅と呼ぶそうで、以前のそれはOldStationと名称を変えてしまっていた、そして
現在は市内にアクセスするモノレールと昔ながらのマレィ鉄道くらいなのかな、ひっそり閑としてた。
とにかくモータリゼイションの発達著しいお国柄、鉄道の需要はきっと減る一方なんだろな。
けれど昔見たままの広大な駅、その外観は真っ白な宮殿、モスクなんだよ。
ぼくは15年前のKLでこのホテルを見つけてね、当時泊まり歩いていた安宿よりは少し高かったけれど、マレィのジャングル探検?から帰ったばかりで、くたくただしもうすぐ帰国、の頃だったので、思い切って何泊かしたんだよ。
そしてそのときの感激は大変なものだったみたいだ。
ひろいひろい客室、頑丈に作られるべきところは石、それ以外でも重厚な木造り、ぴかぴかに磨きあげられた木と真鍮のパーツ、古めかしいエレベーターはまるでヒッチコック映画に出て来そう、スヌーカーの台のあるバー&ボール.ルーム。
全部が気に入った、すきだった。
だいすきな旧い映画のなかに入りこんだような興奮。
ただでさえ浮き足立っている若き日の独り旅、、
ぼくのなかで「記憶」が熟れて、膨れ上がっていったんだね、好きなように。
それから暫く後、ホテルは閉鎖された、なんていう噂も聞いて、ますますぼくのなかでのそれは膨らんでいったんだね。

そしていま、、ぎしっ、ぎしりと頭の中で記憶の修正作業がなされた。
でもね、それでもやっぱりとてもとてもいいんだよ、ここは。

夕方、チャイナタウンとインド人街への岐路の辺りまで散歩。
このどちらもがOldTownと呼ばれるエリア、それ以外はもう最先端のアジアの大都市、それも悪くはないけれど、マレィの旅の醍醐味のひとつはこういう旧い旧い時間のなかに迷いこむことにあるんだよ。
ただでさえ外国人の旅行者は幽霊みたいなものだからね、そういう幽霊が出没してこころ和めるのはきっと旧い旧い場所、、OldTown。

「Hassan&Zakir」というインディアン.ムスリム.フーズ(まぁ、カレーショップか)のレストランで、ナンとカレー2種類、タンドーリ.チキンで夕食。
抜群の味、辛さ、そういえば以前もこれにハマったんだった、と憶い出した。

明日はマラッカ(Melaka)へ。

2004年8月21日(土):マラッカ

KLからバスで2時間半、昔は舗装のいい加減な道をがたがたと5時間も6時間もかかったものだけれど、いまは高速道路でしゅっと着いちゃう。
マラッカ、、ぼくのだいすきな街、旧い旧い街。
ところでマレィはとても暑い、赤道にすごく近い、1年中果てしなく暑いらしい。
バリのように涼しい季節、というのがないらしい、湿度も高くて汗をたくさんかく。
マラッカは日陰のない街だ、かっと照りつける強い陽射しに真っ黒なぼくの影が路上に灼きつく。
陽射しで白っぽく霞む空気にピンク色の旧い建物、これは土のオリジナルな色。

ぎしっ、ぎしり、、
また記憶の修正作業だ。

ぼくはこの街に灼きつけた自分の影を探しに来たのだ。
15年前に独りぼっちでこころゆくまで歩き回った街、影を灼きつけた街。
Malacca若しくはMelaka、眠ったような街。
セントポールの岡から望む、遥か茫洋たるマラッカ海峡。
白昼は人通りのほとんどない、骨董店街のHangJebat通り辺り。
夜は唯一の賑わいのChenLock通り。
けれどこのまま終わってしまっても不思議ではない空気だったんだ。
廃虚のまんま放置されている建物、歴史のありそうなとても旧いものから、建築が中止になって放り出されているビル群、そういうのが色んなのが廃虚へと向かう段階をあちこちで晒していたんだもの。

ぎしり、、

そういうものはすべてぼくの深い所へ「完全なる個の記憶」として軋みながら沈んでいった。

ぎしっ。

一方、修正もなされた記憶もあった、やはり膨らみ過ぎていたものたちもあったんだね。

2度目のマラッカのとき、そういう兆しは感じていた。
海に面したなにもなかったエリアの開発に手を付けたのかな、という感じだった。
それから10年もたっているのだからね、、

土日、ということもあったかも知れないけれど、驚く程の観光客で賑わっていた、どこも。
眠ったような街は目を醒まし、活気に溢れていた。
骨董店街にはたくさんの洒落たお店がオープンしていて、でも、もとからある旧い建物を使っているので、どれも悪くない雰囲気だね。
けれど、ぼくはぼくの影を探さねばならないと思う。

夕食は伝統的なババ.ニョニャ料理を食べさせるレストラン「PeranakanPlace」独りではちょっと入りにくいようなお店、旧くて重厚、100年以上はたっていそうな豪壮な建物。
どんな料理かと言うと、これはインドネシア料理のルーツにあたるものが多い。
マレィ料理というのは大抵がそうなのだ。
のみならずインドネシアの文化はマレィにルーツをもつものがとても多いのだ、言語もしかり、なのでインドネシア語をそのまま使ってもだいたい通じてしまうので有り難い。
実はこの料理は初めて食べたのだ、それもインドネシア料理として名が通っているものばかり注文してみた。

、、なにかね、すごく味が深い。
スパイシーで辛い、けれども攻撃的では全然ない、柔らかくて深くてミルキーでなにか優雅なものに、そういうのすべてが包まれてる感じ。
文化もまた然り。
ところでババ.ニョニャとは数百年前にこの国に移り住んだ中国系男女のことなり。

そうだ、出がけのKL.pudurayaバス.ターミナルのなかのフード.コートの充実振りは嬉しかった。
昼食は焼豚麺のドライ(旨い!)とマレィ独特の清涼飲料水「Sarsi」これも久し振りの味だった、飲めぬひとは絶対に飲めぬだろう、ルート.ビアーにムヒ(痒み止めの)を混ぜたような味、だね。
旨いとか不味いの問題ではなく、これほど強烈な味の記憶はそんなにないしね、1マレィに1回は味わいたいもの。

2004年8月22日(日):マラッカ

あぁ、ところでぼくらが泊まっているホテル。
名前は「BABA HOUSE」
つまりは旧い旧いババ.ニョニャの家をホテルにしたもの。
骨董店街の一本隣筋にある。
KLにせよここにせよ、100年は軽く越している建物に泊まる体験は素敵だ。
近代的なホテルのような設備や快適さはないけれどね、そんなことなんでもないし。
ババ.ニョニャの家はどこも細長いらしい、間口は狭いけれど、なかはまるで迷路のごとき作りで狭い客室があちこちの廊下沿いに並んでる、そして突然中庭があったり井戸があったり。
歩幅でちょいと計ってみた、幅が11〜12メートル、長さは60メートルくらいではないかと思う。
この建物の中は、確かに時間の止まった旧い空気に満ちていた。

照りつける陽射しのなか、あちこちみんなで歩き回るも、やはり5歳児にはちょいとキツかったかな。
けれど、さほどおおきな街ではないので、乗り物に乗るというほどではなく。

街の真ん中を流れるマラッカ川沿いのレストランで昼食。
下を流れる川を覗いていた息子が「ワニがいる」って大騒ぎ、見るとホントに2mはありそうなワニ状のものがこっちに泳いで来るではないか、、
で、近くで良く見たらトカゲだった、水トカゲ(WarterRizzard)というものらしい、とにかくデカい。
昔からいるのだろうけれど、こんなのは全然知らなかった。
しかし一匹気がつくと、あちこちにいるわいるわ、、
ところでマレィの河川はどこも粘土色のねっとりした流れなんだよ、首都のKualaLumpurは「泥の川」という意味だしね、つまりは何がいるのか見えない、わからない、こりゃ間違っても落ちたくはないな、というもので、やはりこんなのがいたし、、。

この川沿いにはぎっしりと旧い家屋の裏側が並んでいる、それを眺める船のツアーに乗ってみた。
その裏側の、もちろんひとが住んでいて裏口なんかもあるちょっとしたスペースにあがりこんで、ごろごろお昼寝してるんだよね、件のヤツらがさ。
そういう家から出る残飯とか食べてるのかな、ちゃんとひとと共生してますな、少なくとも裏口からは泥棒は入るまい、と思われた。

実は今回、見た事もない新しいバス.ステーションに着いてとまどったのだけれど、この船から旧バス.ステーションが廃虚になっているのが見えた。
3ヶ月前まではKLからの長距離バスが頻繁に発着していたはずなのに、もうすでに廃虚の空気に包まれていた。
マラッカの大気とは、やはりそういう性質のものなのだろうか。
同建物内にある「HOTEL LIDO」の看板が落ちそうになっている、憶えてるんだこの看板、そして川を渡り町へ入るための継ぎはぎの木の危なっかしい橋も。
あぁ、こんなところにあったのか、、マラッカに着いて最初に見るはずだったものたちよ。

影。
いくつかは見つけたけれど、まだ違う感じがしてる。
探さなければならない。
visaの申請などもあり、明日はKLに戻らなければならないしね、ちょっと気持ちの焦りもあった。
はやい夕方にホテルに帰り、まだ陽射しの強い街に独り出掛けた。
OldTownの目抜き通りみたいになってしまった骨董店街からどんどん裏へ裏へと逸れて、ゆっくりこのエリアを取り巻くように、でも出鱈目に歩いてみた。

そして思いもかけずに15年前に泊まっていた宿を見つけてしまった、、「忠和旅社」
おずおずと歩き出した旅、初めての街で、でもあんまりお金もないわけで、安そうな宿を探し探しの旅。
もうそこは営業はしていなさそうだった、懐かしいガラスの引き戸の向こうのささやかなロビーだった所には、雑然と色んな荷物が積み上げてあった。
でも、狭い通りの向こう側に佇んでいると、マラッカじゅうに散ったぼくの影、15年前に置き忘れた影たちが夕暮れのここに集まって来ているような気持ちがしていた。
あぁ、もうこれでいいな、という気持ちがしていた。

がらんとした広い原っぱみたいな裏道を適当にホテル方面にあたりをつけて歩いていたら、地元のひとたちが食事をするようなごく大衆的な、道に簡易テーブルと椅子を沢山並べたおおきな食堂が突然あって、夜の準備の少し前、みたいな空気だったけれど、頼んだらアイス.コーヒーをちゃんと作ってくれた。

そんな気分だったしね、独りぼっちの夕暮れの空気のなかで、そのアイスミルク珈琲はね、本当にとってもとっても甘かったんだよ。

晩ご飯は、夜は屋台でぎっしりと賑わう骨董店街で。
実は今回の旅で唯一ハズした夕食、、有名なマレィ料理のラクサを混み合う屋台で頼んだのだけれど、ちょっと特殊な種類のラクサを頼んでしまったらしい、ぼくの口には合わなかった。

そのあとちょいと洒落たオープンなカフェでビール。
マレィの暑さはね、ホントにビールが合う、ローカルのTigerBeer。

2004年8月23日(月):KL

「HeritageStationHotel」に舞い戻る。
Heritage、文化的歴史的遺産の意。
マレィではよく見かける言葉、そしてとてもよく似合うと思う。

夜は、恐くはマレィ最大のチャイナタウンへ。
ここはホテルから徒歩圏内、15分くらいなのが嬉しい。
その目抜き通りのPetaling通りが凄くてさ、もともと道の両側にぎっしり店があるところを、道いっぱいに出店が出ている。
もともと割と広い道に両側の店鋪合わせて4車線分お店が並ぶわけ、で、ひとはその間の狭い通路を行ったり来たり、もう歩いてると右にも左にも目玉が引っ張られる。
なにか物欲を激しく刺激されるようでいて、でもなんにも欲しくないような、いやそんなこと考える間もなく、あちこちから食べ物のいい匂いだし、熟れた果物も売り台に溢れかえってるし。
通路はひとでぎゅうぎゅう、ともかくも月曜の夜からこんな調子、週末はさぞや、だろうな。

夕食は屋台で「肉骨茶(バクテー)」ポーク.リブの煮込みスープ、といったところかな。
10年ぶりの味、で、やっぱりこれはすきだ。
簡易屋台だしね、これだけだったけれど、専門店で食べる本式の食べ方は、中国茶を小さい茶碗で何杯も飲みながら食べるんだよ。
きちんとした、でもままごとみたいに小さなお茶のセットにコンロとお湯の沸いてる薬缶をテーブルの上に並べてくれるんだよね。

KLも暑い、夜は夜で本当に暑い、昼間よりも夜のほうが喉が渇く。
StationHotel一階のレストラン&バー、ここはTigerBeerのドラフトが飲める。
天井が遥かに高く、広々した空間、響くざわめきはまさしく駅の構内であり「旅情」という言葉が自然に浮かんで来るのだ、ここに座っているとね。
料理の値段も安くて、街の屋台やらフード.コートとさして変らない、それすらも「旅情」を感じる一要素だった。
息子も含めた全員がここがだいすきになり、毎晩通うことになるのだ。

2004年8月24日(火):KL

早起きしてイ大使館へvisaの申請へ。
相変わらず、国によってその手続きやら必要書類などがまちまち、、これはホントになんとかならないのか、と思う。

そこから徒歩圏内にKL最大の高級繁華街があり、やはりBaliに暮らしているとたまにはそういうところにも行ってみたくもなるしね。
伊勢丹デパートやら紀伊国屋書店やらもあるし、世界一の高層ビル、しかもツインで、なんてのも出現していた。
そしてStarbucksCoffeeやらillysやらあるのが有り難い、実は珈琲だけは駄目なのだ、この国は。
何処で飲んでも、ホテルでさえも、、まるで泥水みたいな珈琲でね。
屋台や簡易食堂で飲ませるコピ.オというインスタント(ティーバッグならぬ珈琲バッグ+ミルク)の方がはるかにマシ。
いや、この国で飲むのならテ.タレと呼ばれるアイス.ミルクティーがいい、コンデンス.ミルクを使っているのだけれど、これが抜群に旨い。

息子にとっては今回の旅の恐くはハイライト、日系のデパートの玩具売り場へ。
迷いに迷ってSpiderMan2のLEGOセットとスーパー.ヨーヨー。
そのまま地下のフード.コートで昼食。
DuckRice、鶏ガラスープで炊いたご飯のうえにロースト.ダックがのっている、これも美味しいんだよね。
今回息子は良く食べる、マレィ、チャイニーズ、インド、ムスリム料理、、どれもインドネシア料理に通ずるものがあるからね、違和感がないのだろうね。
これがさ、Bangkokだと全然食べない、インドネシア料理とは明らかにノリが違うものだからね。
けれど香菜やら、あの攻撃的な辛さとかね、ぼくはかなりすきだけど、そりゃコドモにはキツいかもな、、タイ料理が大好物なんていうコドモはロコ以外じゃいないだろうねぇ、きっと。

夕食はホテルのレストラン。
色んなメニューを頼んで、みんなで少しづつ食べた。
どれも美味しかったけれど、MeeHunGoreng(ビーフンの炒めもの)がBeerに良く合って特に。
デザートに食べた巨大なホット.アップルパイ+アイスクリームに全員感激。

2004年8月25日(水):KL

午前中に再度大使館へ、visa受理。
今日はぼくが楽しみにしていたインド人街へ。
インディアン.モスクのあるエリア、、つまりはヒンドゥーよりもインディアン.ムスリムの方が多いのかな。
インド服、ムスリム服、生地屋の並ぶ通りが狭いのから広いのまで、とにかく色が綺麗で目が楽しい。
小型の百貨店みたいなのもたくさんあって、その中はさらにごちゃごちゃ。
もうそういう渾沌の中を出鱈目に独りで歩き回るのがぼくのなによりの楽しみ、けれど連れがいるわけで、ちょっと不満が膨らみそうになったところで雨、、かなりの降り。
ムスリム料理店の軒先で雨宿り、息子とアイスキャンディー舐めながら、前回家人と来たインド人街の時もこうして雨に降られたな、なんて憶いだしてた、今回はそれが三人なんだね。
昼食はおおきなインド、ムスリムのフード.コートを見つけてカレーとナンで。

さて、その後連れたちは近くにあったSOGOデパートへ、ぼくは2時間の自由行動。
ステージで着れるかな、と思って結構ディープなインド服など買ってみた。
安いんだよね、これが、セール品なれど400円くらい、半額ね。

夕食はチャイナ.タウン、すごく大衆的で、でも割と大きな店構えの中華料理店。
LemonChickinRice(これは件の鶏ガラスープ炊きご飯の上に中華風チキンカツ+レモンソース)と薄口スープ麺。
両方ともかなり美味しかった。
青島(チンタオ)Beerという中国ビールを飲んでみたけど、Tigerのほうが美味しいかな。

部屋のテレビでオリンピックをちらりちらりと観ていたところ、下のマレィ鉄道のホームにオリエント急行が暫く停車らしいと、、みんなでホームまで(何故か自由に出入り出来る)降りて行ってちょっと見学、、窓の中はね、まぁ映画そのまんま、というか、ネクタイ、イヴニングドレスの男女がレストランやバー車輌で一杯やってる、、こっちは半分寝巻きみたいなもので。
Singapole〜Bangkok間だそう。

2004年8月26日(木):KL

今日はZOO NEGARA(国立動物園)へ。
そういえば、暑い国の動物園の動物達、だれてるんだった、暑いから、、
熱帯の動物王国みたいなマレーシア、と期待したのだけれど、う〜ん、、ここはイマイチだったかな。
マラッカの水トカゲの方が我が目を疑うような臨場感だったよなぁ、あ、でも観たいと思っていたマレィ.タイガー観れたし、蛇なんかはかなり強烈だったかな。
昼食は何処でも良く見かけた「MarryBrown」というローカルのファスト.フード店、園内にもあった。
まぁ、こんなものかな、という味。

暑いし、疲れも溜まって来てるみたいだから家族は早めにホテルに戻って、ぼくは独りでチャイナ.タウン探検にでかけた。
夕方のまだ早い時間なのに、道はもうほぼ出店で埋まっていた。
ひとから見たら、いい加減な出鱈目ペースなのだろうけれど、そこはやはり自分なりの法則に乗っ取ったペースがあるわけで、これだといつまででもほっつきあるいていられるし、やっぱりすごく楽しいんだよね。
こういう時は、自分のため買い物というよりは、ひとのためになにかちょこちょこと買うのが楽しい。
で、そういうのを暫く楽しんだ。

KL最後の夕食はみんなのお気に入り、ホテルのレストランで。
明日の朝は4時には出なければならないし、顔見知りになったスタッフの子たちにも最後にバイバイしたかったしね、それは特に息子だったかも知れないな、なにかモテモテだったからなぁ、、

***早朝の寝不足タクシーで空港へ、、がらがらの高速道路だったから良かったけれど、妙な減速、車線変更繰り返すので、ふと横見たら寝てるんだよ、これが、、
で、叩き起こして、その後励ましつつ、なんとかKLIA到着。

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2004年8月6日(金)

本日とうとうHP再オープン、、う〜ん、やはり嬉しい、感無量。
音をやりながらも、やっぱり言葉や文章もだいすきで。
そう、書いたもの、記したもの。
口から発する、音、空気の振動としての言葉は「速い」とても。
脳が発した電気信号が空気の振動になって鼓膜に達するまでは、まさにSonicの世界。
書き言葉や文章も、でも直感的なそれだから速さはきっと変らない、けれど書かれてから、記されてからがSlowだ。
すきなだけ時間をかけることができる。
送る方も受け取る方も。
そうだね、携帯メールや2ちゃんねるの言葉を否定はしないけれど、Sonicだけではぼくは嫌だ。
sonic/slowどちらもが大事にし合わないとね。
さてでは、日記をはじめようかな。
ぼくの旧日記を読んでいただいていた方はご存知のことなんだけれど、ぼくは毎日書かないし、しかも当日書く事も滅多にない。
なにか印象的な出来事(もちろん毎日あることではあるけれど)があって、さらに少しの時間が経過してその印象が熟れてきて、はじめて書く、というやりかたなのです。
日々の、日常的なちいさな印象(これを日々の小泡と呼んでいます)は毎日必ずなにか記すことに決めているBBSに書いています。
だから「ときどきトランス日記」です。
トランスの入口は印象、で、BunのHPで「ときどき日記」というのがあって、その言い方がなにかすごく可愛らしかったので、マネしてしまいました、ごめん。


photo/mugijegogではあらためて始めます、、
2004年8月6日(金)
*Ubud自宅〜プラ.ダラム.ブントゥユン

今晩はブントゥユンのJegogチーム「SuaraSakti」との競演。
演奏の印象やらはライブレポに書いたので、ここではもうひとつの重要なことを。
なにかいろんな「縁」が絡まってこうなったので、面白いし嬉しくもあったので、これはとくに記しておきたくて。
それはね、、
この楽団の定期公演プログラムのラストに、なにか異種の楽器、音楽とJegogとの競演をやりたいと、ここの団長さんというか、後見人、オーナー?のS氏からぼくのところにオファーが来ていてね。
で、ちょうどYas-KazさんがNATAと一緒にUbudに来ていらした。
NATAは前回のSBツアーの時に浜松で競演したディジュリドゥー奏者、Yas-Kazさんはぼくはお会いするのは初めてで、でもBaliとも縁の深い音楽家(パーカッショニスト)でBunからもいろいろ聞いていてね、是非お会いしたいものだと思っていたひと。
次作品のために、Baliの古い伝統楽器のサンプリングにいらしているそうで。
1973年頃から頻繁にこっちに来ていて、でも10数年振りのBaliだそうで、そうすると丁度ぼくと入れ替わりっていう。
つまりはBaliの大先輩、しかも音楽家としても、なわけで、こういうひとに出会えるのはやはりおおきい。

でね、S氏に今回競演予定のミュージシャンはYas-Kazさんという、、と言ったら驚いていらして。
実はね、、S氏がJegogに目覚めたのは、10数年前にJegogの頂点でもあるスアールアグンとYas-Kazさんの競演をプリアタンで聴いてから、というお話なのね。
で、それからはじまったJegog熱が高じてとうとうご自分の楽団を持ってしまった、という。
SuaraSaktiはその10数年の夢を抱えてまだ始まったばかりのチーム、そしてそのキッカケとなったミュージシャンとの競演の橋渡し、しかも一緒にその場で演奏までさせていただいた。
そういうふうに流れていたもののホンの端っこにでもいれたこと、やはりなにか嬉しくてね。

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michiro-U. ソロアルバム販売中!

michiro-U.のソロアルバム「New Sonic Bamboo」が吉祥寺ワルシャワ「FOURTH FLOOR」にて販売中(2,000円)です。
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「FOURTH FLOOR」さんはエレクトロニカ・テクノ・トランスなどのインディーズ専門レコード店で、内容さえバイヤー担当の方のお眼鏡にかなえば、CDR音源でもおいていただけるというすばらしく貴重なお店。
今後PLANET BAMBOOなどのアルバムも販売予定で、これを機会にトライバルな方面も充実させていくと店長の談でした。
もちろん試聴も出来ます。
昼間はカフェ営業も兼ねているので、吉祥寺お散歩コースに加えて、ぜひ聴きにお越しくださいね。
意匠仕掛方もしくは東京出張所・白い花より

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