故音耳袋=Act.9 、 JimHall /07.06. 2003/ N.Y
将来なりたいものはジャズ.ギタリスト、なんてことを言い始めてから10年くらい経っちゃった。
はい、なれてません、勿論。
ジャズがやりたいわけではないし、おまけに次から次へと面白そうな楽器が見つかってしまうので、なかなかジャズ.ギタリストになる勉強が出来ない。
老後の楽しみにジャズ.ギタリスト、にそろそろ切り替えるか、、。
と言うくらいギターのジャズというのが好きで、やはりWesかJimHall。
どちらも二十歳そこそこの頃に知って、当時の最先端の音楽にまみれながらも聴いていた。
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ただし例のごとくマニアではないわけで「Commitment(哀愁のマタドール)/ '76」「Conciert(アランフェス協奏曲)/ '75」この2枚です。他にも数枚は知っているけれど、全部は知らないしぼくにとっては充分なのでこれでいいのだ。
初めて「Commitment」の'Lament For Fallen Matador'を聴いてすっぽり落ちた。ハートの琴線が震えるというのはまさにこういうことかと、、そしてそのデリケエトな線は張力を失ってはらりと落ちた、、のか。
その当時、古い洋画を観ることにハマっていた。アメリカよりもヨーロッパだぜ、っていう空気が街に流れはじめていた。
イギリスのパンク.ロックを聴きながら古いヨーロッパ映画を観に行ったり、古書店でヴィアンやバタイユ探したり。
で、送っていたそういう日々のテーマにぴたりときた。挿入曲はTheClashやSham69であろうとも、全体を流れるトーンはこっちだった、とはいま思うこと。
いま思うとアメリカの音楽だったわけで、でもそういう分類には入らない最良のアメリカの音楽と思う。
ともあれ、青春は寂しくて悲しくて、切なく孤独、、と、そういうたくさんありがちな場面にぴたりときた。ときに拡がりそうになる虚無感を押さえ、そこを情感で満たしてくれて助けてくれた。
このギターの音色、メロディー、、人生でこの音を知る前と知った後では大分違う。あぁそうか、影響を受けた○○はなんですか?の質問の意味がやっとわかった、、多分こういう感じなのだな。
余りに美しいアンサンブル。ChetBakerのトランペットに痺れる。RonCarterのベースが物凄くいい。
べースは指板にフレットがないということをまざまざと、その映像が見える程のプレイでね。音符で言うとスラー、プレイで言うと、弦を押さえた指を滑らせるグリッサンドというやつ。
音色、、すべての楽器の音色が素晴らしい、音に「錆び」がある、そう錆びている。
ギターもベースもスティール弦、トランペットもサクスフォーンも金属、ドラムのシンバル、ハット、ブラシも、、それらが実際に錆びているというのではないけれど、そういうことからの連想もあるのだろうか、、。
錆、それはやがて朽ちてゆく予感、いわば未来の時間が寂しいという予測の動かぬ証拠。
そしてその錆は、過去〜現在までの甘く切ない時間が錆びたものなのか、、これが音に。
だから実は「スタジオ.トリエステ」も良い曲、名演揃い(特に'WhisperNot'が、、)のアルバムと思うのだけれど、音が溌溂とクリア過ぎる、音色や空気にこの「錆び」がなくてぼくには残念。
ところでこの「錆び」の感覚、ChetBakerの最後のアルバム「Let'sGetLost」が凄い、本当に凄いです。
これら「錆び」は、日本の侘び寂びの「寂び」とはかなり違うものと思う。
甘さやセンチメンタリズムを極限まで排したあの世界へは行かない。
何処までも堕ちてゆく甘くて悲しい毛布。もう明日なんか来なくったって構わない、このまま一緒に堕ちてゆきたいと思ってしまうような。
'Lament For Fallen Matador'の11分42秒はぼくにとっては余りにも掛け替えのないものだ。
そして「Conciert」の'Conciert de Aranjuez'も同じトーンを持つ。
でも香り高い淹れたての珈琲が傍にあってもいいな、という余裕は生まれるけれど、この19分14秒も世界が止まる。
ところで2年前の今日、ぼくはN.Yに居た。VillageVanguardというシロートのぼくでも名前は聞いたことのある有名なジャズ.クラブに行った。
その前にこれも有名なBlueNotesに行ったらばLarryCarltonの日で長蛇の列、、それほど観たくもなかったのでこっちに来てみたらなんと、JimHallTrioと書いてある、、!
1部2部の入れ替制で並ぼうかどうしようか迷っていたら、1部を終えた本人がドアから出て来た。
ものすごくおじいさんだった。
70年代のレコードジャケットでも、もう少しおじいさんっぽかったからね、一体いま幾つくらいなんだろうと思った。
年輩の女性に包まれるようにしてゆっくりゆっくり歩きながら、つむじ風の通りの角の向こうへと消えて行った。
なんとかお店に入れて、それはもうどきどきしながら待っていた。
Gibson.L-5に古そうな布張りの真空管アンプ。写真で見たことのあるあのセットがステージに置いてある。
そしてぼくの知っている、ずうっと聴いてきた、憧れてきた、震えてきた、あの音色が聴こえて来た。
もともと、弾きまくるというタイプのギタリストではなかったけれど、更に更に少ない音数になってた、それを慈しむように弾いていた。
息子か孫かという感じの若いドラムとベースのリズム隊だけれど、隙間に気を配ったデリケートな演奏してるなと思った。それが嬉しかった。
40分かもう少しの短いステージ、終わって控え室に帰る彼が目の前を通りすぎた、その時押された空気がわかるくらい近くだった、本当に本当におじいさんだった。
その2日前ぼくとKoh-TaoのBunはふたりで組んだデュオ、SonicBambooの振り出しをN.Yで終えて、、と「路上」風に言うと格好良いかと思ったんだけど、ともかくもそういうデビュー.ステージに恵まれた。
そういうことで気持ちがおおきく膨らんでいたときでもあったしね、その膨らみにしっかり住みついたN.Yの街、そのなかにJimHallは住んでいる。
でもその後の2年間はいろいろ大変なことがあったりで、自らが招いたことで荒波に揉まれて翻弄されて、だからこの2年間でその膨らみもすっかりしぼんでしまった。
なんでこんなこと書いてるかと言うと、JimHall聴きながら、あぁ、丁度あの辺りから2年になるのか、、と思ってね。
それを書きとめておきたかったのもあってさ。
そしてそのしぼんでしまったものをもう一度膨らませてみたくなったから。
去年の暮れくらいから少しづつその兆しを拾い始めてて、大事にとっておいてあるから、、
決して満たされることはないのは多分わかっているけれど、音楽家はその自らの音でまず自らを満たしてゆかねば、そうしなければどんどん空っぽの洞になってゆく、で、ゼロになってさらにマイナスなのか、、?と考えるとそれは恐怖。
想像もつかないことだけれど、たとえゼロになっても音楽や音の記憶は残ると思う、でもマイナスの世界はそういうものたちがひとつ、またひとつと失われていくような気がするからね。あぁ、これはホントに嫌だな。


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